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Scene.１-２

　あの後すぐに三宅と別れ、私は自宅へ向かった。

　鳴沢や神藤はほぼ毎日、塾で頑張ってるみたいだけど――三宅はどうだか知らない――、

　私は塾の日数は最小限に抑えて、自分ひとりで勉強する方が向いている気がする。

　だから放課後は大抵、『Camellia』関係のことが無ければ自宅に直行し、宿題や予習を片付け、ノートを纏め直す。

　受験生ともなれば、一定の成績をキープするのはなかなか難しい。

　今までそれほど熱心に勉強してなかったヤツも、内申や模試を意識し始めるからだ。

　成陵高校の最寄り駅から地下鉄で二十分、都心の方へ出て、徒歩零分という好立地に私の家はあった。

　まだ築五年以内の真新しい高級マンションで、エントランスやロビーも清潔・綺麗で気に入っている。

　けれど私はマンションを通り過ぎ、その隣に建っている貸しビルへと足を踏み入れた。

　ガラスの扉を押し開けて直ぐにエレベーターがあるような、決して広いとは言えない建物。

　エレベーターを呼び、『四』のボタンを押すと、ブザーが鳴って扉が閉まった。

　此処はドアの開閉がちょっと遅い。私は短気なこともあり、急いだりしているときはイライラしてしまう。

　程なくして再び扉が開くと、サッサと箱の中から出て行き、白い扉の上に掛かる表札を見遣った。

　『株式会社ＡＱＵＡ』

　軽く咳払いをしてからインターホンを押す。

「はい、株式会社AQUAで御座います」

　聞こえてきたのは若い女性の声。吉川さんだろう。

「智栄です。今帰りました」

　いつもよりもワントーン高く、努めて明るい声で言った。

「智栄さんですね、どうぞそのままお入り下さい～」

「ありがとうございます」

　いつも何処と無く甘ったるい声音の彼女へ、私は礼を言って静かに扉を開けた。

　扉の向こうはオフィス――といっても、そんな大それたものではない。

　広さは十五坪、と聞いている。私は坪数を言われてもピンとこないけど、三十畳くらいと言い変えられたら把握できた。

　オフィススペースが大体十畳ちょいくらいで、仮眠用の寝室が八畳。

　あとはバス、トイレ、クローゼットなどマンションのような設備。ホント、慎ましやかな事務所でしょ。

　社員は二人。しかもそのうちの一人は時々しかオフィスに姿を現さない。

　一応デスクは三つ有るけど、全員が其処に着いているのは繁忙期くらいなものだ。

　オフィス内は取り立てて清潔感があるワケでもなく、驚くほど汚いワケでもない……のだけど、ここには常識的に考えておかしいモノが沢山転がっている。

　例えば……。

　私は入ってすぐある吉川さんのデスクの上、何でもないように置いてある器械を手に取った。

　手の中で握れるくらいの小さな棒状の器械。色は爽やかなエメラルドグリーン。

　底面にスイッチが付いていて、それを押すと棒の先端がブルブルと振動する仕組みになっている。

　私がそれに興味を示したと勘違いした吉川さんが、此方へやって来て、

「それ！　今度のセールでオマケに付けようかって言ってるモノのサンプルです。日比野さんが格安で仕入れてくれたんですよ～」

　得意げに、にこにこと微笑む彼女だが、一般人の視点から見れば酷く不自然な光景だ。

　コレがトレンドの服やアクセサリーならば理解できる。

　吉川さんはスレンダー美人だ。服装もお嬢様系で、歳もまだ二十五、六だったと思う。

　控えめだけどつけまつげや、リキッドアイラインで目元が強調されている今時のメイク。

　顔つきはややキツめなのに、この通り雰囲気が緩ーい感じだからバランスがとれているのかも。

　そんなショップ店員のような容姿をしておきながら――と心の中で呟く。

　私が手にしているこの器械は、紛れもなく大人のオモチャというやつで、所謂、ローターと呼ばれるモノだと推測する。

「そうなんですかー、日比野さんが」

　私は彼女に同調する振りをしながら頷いた。

　日比野さんというのは吉川さんの同僚。此処にはあまり出勤しないもう一人の社員さん。男性だ。

　彼は普段、工場に顔を出している。勿論、自社製品を作っている工場に。

　凄く人が好くて、営業にも携わっているらしいから、首尾よく手配したんだろうと思う。　　
　
「こういうデザインなら、いかにもって感じじゃなくて、初めての人でも気軽に使えるでしょう～？」

　吉川さんは私が手にしたそのローターを指差すと、ショップ店員顔負けの営業スマイルで同意を求めてくる。

　知った事か。私、これでも十八歳になったばかりの女子高生なんですけど。

　ていうかそういうの使ったことないし、使う気もねぇよ、と心の中では悪態をつきながらも、

「そうですね、これで普段はDVDとかラブコスメを購入してる人とかも興味持ってくれたら、売上に繋がりますよね」

　と、しっかり笑顔で返しておいた。

「流石、智栄さん！　賢いですねー、そういうことです。社長の自慢のお子さんだけあります～」
　
　彼女独特の、間延びしたようなテンポでそう言われても、あまり誉められている気がしない。

　適当に愛想笑いをしてかわそうと思っていたところで、

「智栄！　お帰り、わが娘よ！」

　パーティションで区切られた奥のスペースから、やたらテンションの高いオジサンが小走りに寄って来る。

　歳は四十半ばなんだけど、見た目に気を使っている所為か三十代後半に見えなくもない。

　フサフサの髪には多少白髪が混じっているものの、無駄にエネルギッシュな動作が若く感じさせるのだろう。

　しかし、いつ聞いても煩い――いや、よく通る声だ。もっと静かに喋れないものか。

「社長～、早速智栄さんに、今度のセールのオマケを見てもらったんですけど、誉めて頂いちゃいました～」

　吉川さんは、そのオジサンが近づいてくるや否やそう言ってまた誇らしげに笑った。いや、別に誉めたつもりはないんですけどね。

「おーおー、そうか、流石お父さんの娘だな、智栄」

「ほーんと、社長に似て優秀なお子さんですよね～」

「そうともー、ボクの大事な大事な一人娘なんだからね」

　吉川さんとオジサン……もとい、父親のタッグは最強だ。このうっとおしい空気の中、サッサと用件だけ済ませたかった私は、

「そんなに大したこと言ってないから。ところで、お父さん」

　あくまで柔らかい口調で話を切って、本題を切り出した。　

「なんだい？　智栄」

「通販のプログラムについてなんだけど、商品画像をもう少し載せたほうがいいと思うから、上限枚数を増やしたいの。ちょっといじらせてもらっていいかな？」

「ああ、勿論だとも。今、未処理の通販が残っているから、それを片付けたらで大丈夫かな？」

「うん、じゃあ私仮眠室で宿題と予習済ませてきちゃうね」　

「いつもいつもお願いしちゃってごめんなさいね～、智栄さん～、助かります～」

「いえ、役に立つならどんどん使ってやってください」

　私は感じの良い受け答えを意識して選んだ。そう言っておけばいい。

「――そうだ智栄、お前に話したいことがあるんだが……明日の夜、都合つかないか？」

　それまで陽気だった父親が徐に口調を正して言った。向ける視線が妙に不安げだ。

「話したいこと？　えっと、今日じゃダメ？」

「夕食をとりながら――ゆっくり話をしたいことなんだ。どうかな？」

「明日は塾なの。申し訳ないけど……」

「そ、そうか、じゃあまた改めて、な」

　父親が残念そうに言うと、何故か隣の吉川さんまで同じように表情を曇らせた。

　―――あぁ、なるほどね。そういうことか。

「じゃあ、終わったら呼んでね」

　理解したことを悟らせないように、嘘くさい笑顔をキープしたまま仮眠室の方へと向かった。

　仮眠室の扉を開ける前に、今居た方向を――吉川さんと父親を盗み見る。

「智栄さん、忙しいんですねぇ～」

「まぁ、受験生だからな。何、急ぐことは無いさ。また近いうちに」

　本人達はヒソヒソ話しているつもりかもしれないけれど、聞き耳を立てれば筒抜けなんですよね。

　父親は吉川さんを慰めるように、背中をぽんぽん、と優しく叩いた。

　その所作に吉川さんが寂しそうな、でも少し照れたような表情を浮かべて頷いたりしている。

　仲睦まじそうに話すこと。私が、アンタ達の関係を知らないとでも思ってる？

　馬鹿みたい。私は心の中で嘲笑し、仮眠室へ入っていった。

　・
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　『株式会社　ＡＱＵＡ』　

　私の父親である水上誠一（みなかみせいいち）が経営する、アダルトグッズを製造･販売する会社。

　数あるそういう会社の中では、品質やデザインに定評があるようだけど、詳しいことは知らない。知りたくも無い。

　即ち私は社長令嬢ってことになるのだけど、それで良い思いをしたことは一度たりともなかった。

　私は父親を尊敬していない。むしろ、疎ましく思っているくらいだ。

　だって当然でしょ？　まだアダルトグッズなんて代物を知らない時から、生活の近くにソレが存在した。

　私が『素直なイイコ』を演じているのに付け上がり、未成年の娘の目の毒になりそうなことは一通り教えてくれちゃってさ。

　あんな恥ずかしいものを売ったお金で生活しているのだと思うと、正直かなりフクザツだ。

　父親はああいう感じで、常識の通じない開けっ広げな性格だから、隠そうともしない上、

　『人と人が愛し合うのは自然なことなんだ！　それの手伝いをして何が悪い！』

　とか言い出したり。そういう問題じゃないんですけど。

　そんなんだから母親に逃げられるんだ。

　私の実の母親は、あの父親のマイペースさについていけなくなって、私が中学に上がる前に家を出た。

　たまに会ったりしても、母親は母親で新しい家庭を作っているのでもう他人みたいなものだ。

　出て行くなら私を連れて行ってくれたらよかったのに、とも思ったこともあったけど、今となってはどうでもいい。関係ない。

　……母親、か。

　そういやさっきの感じだと、私に新しい母親が出来るのも遠くないのかもしれない

　分りやすいくらいに、父親と親密な雰囲気を醸し出していた吉川さんの姿を頭に思い浮かべる。

　吉川愛美（よしかわまなみ）――２年前、某有名大学院卒業と共にＡＱＵＡに入社した、父親の恋人。

　院を出てまでエログッズの会社に入社するなんて、彼女もつくづく変わった人だ。

　しかも、自分の歳ほど年齢差があり、且つ高校生の娘までいる男と付き合い始めるなんて――余程の変人だといえる。

　彼女はは父親と付き合う前、同僚の日比野さんと付き合っていたようだ。

　けれど、会社で働くうちに父親に心変わりし、日比野さんを振って父親に乗り換えたのだという。

　三人しかいない職場で三角関係とか、どんだけ可哀想なの。

　そのせいなのかオフィスで日比野さんを見掛ける機会は少ない。彼が外回りを増やすのは、二人の姿を見たくないからなのではと邪推してしまう。

　日比野さんも日比野さんだ。人間関係が破綻したなら、さっさと辞めてしまえばいいのに。

　此処より待遇も居心地もいい会社なら直ぐに見つかりそうなものを、二人を避けてまでどうして勤続しようとするのか。

「…………」

　仮眠室はダブルベッドが一つ、デスクが一つだけの簡素な部屋。

　デスクで頬杖をつきながら、私は脇にあるダブルベッドに視線を移した。

　何故ベッドがダブルサイズなのか――私がこの会社に入り浸る前は疑問すら抱かなかったけど、今ならわかる。

　父親はこの部屋で、吉川さんと寝ていたんだ。

　そうであれば新しいラブコスメが入るたびに、吉川さんが嬉しそうに自分の分をキープしていたのも頷ける。

　どうせ製造したてのソレを、此処で仲良く使ってたんだろう。想像しただけでも汚らわしい。

　たまに勉強しすぎて疲れたときにこのベッドを借りていたけど、もう二度と使うまいと誓った。

　私の周りの大人は狂っている。

　それだけ頻繁に使用しているということなのか、二、三日おきにシーツが替わる、清潔だけれど不潔なベッドを睨みつけながら、心からそう思った。

　でもね、お父さん。一つだけ、感謝していることがあるんだよ？

　この会社がなかったら、『Club Camellia』は成立していなかったもの。

　私は、イイコでいる代わりに、『Camellia』という素晴らしい組織を手に入れることが出来たんだから。

　……さて。

　父親に呼ばれる前に宿題と予習だけでも片付けなければ。

　私が勉強をする理由。それは、周囲の目を欺くためもあるけど、一番は父親達のような狂った大人になりたくないから。

　血の繋がりは切れないけれど、運命だけは自分で切り開くことができるでしょ？

　私はもっと、賢く生きていく。そのためには、『Camellia』が必要なの――。

　