Scene.4-4




 『ふふっ、確かに、川崎センセはセンセっぽくない所が魅力だからなぁ』

 『気付かなかったんですか、ふふ、可愛い』


 清楚でおしとやかな斉木さんの、からかうような口調は初めて耳にした気がする。

 割と仲のいい三宅にだって、そこまで気さくには接していなかったろうと思う。

 それなのに――川崎センセには心を開いているっていうか……ざっくばらんな対応をするってことは……。

「おーい、水上?」

 三宅の声に我に返る。

 いつものファミレス。真向かいの三宅が不思議そうに私を見つめていた。

 気がつけば、隣の神藤も、斜向かいの鳴沢も怪訝そうに私の顔を覗き込んでいた。

「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

「もォー、水上ってばー。コレから報告ってときに、しっかりしろよー」

 三宅の手の中には緑色の液体で満たされたグラス。ストローの端からメロンソーダを啜りながら苦笑する。

「……ごめん」

「アレアレ? なンか今日の水上ってば、ミョーに素直じゃない?」

 三宅の言う通り、しっかりしなければと思い謝ってみたのだけど。ヤツは想定外の返しだとばかりに動揺している。

「ていうか、いつも素直じゃないみたいな言い方しないで」

「だって水上ってツンデレじゃンか。あ、つまり今はデレたってコト?」

「意味分かんないこと言ってないで、早く報告してよ、報告」

 誰がツンデレだ。「一度でもあんたにデレたことがあった?」と訊きたいくらい、心当たりがない。

「そうだな。水上の言う通りそろそろ本題に入ろう、三宅」

 鳴沢が時計を気にする素振りを見せながら言った。

 ――そう。私には他に考えなきゃいけないことがあるんだから。

 気を抜くと未だ頭の中で再生される斉木さんの声音に聞こえないふりを決め込んで、鳴沢の発言を支持するみたいに頷いた。

「ハイハイ、わかってますって」

 三宅はメロンソーダのグラスをテーブルに戻した。先の潰れたストローがしょんぼりと下を向く。

「……結論から言うと、亜美チャンは黒だ」

「…………」

 誰も言葉を発しなかったけど、その場に緊張が走った。三宅が続ける。

「なンとなく探り入れたらさ、思いのほかアッサリ答えてくれちゃったンよ」

「っていうと?」

「ン、『うっかり見ちゃったンだけど、瀬野と個人的に合ったりしてるー?』とか言ってさ。そしたら『うん』って。

えーそんなスグ認める? ってオレのが焦ったわ。拍子抜け」

「…………」

「まァ勿論、他の幹部には黙ってて欲しいって言われたけど、いくら可愛い亜美チャンとはいえムリなお願いだわな」

 斉木さんは黒。つまり、『Camellia』を介さず、瀬野と援交目的に会ってたってことだ。

「や、やっぱり、そうだったんですね……み、見間違いじゃなかったんだ」

 神藤が独りごとのように呟く。

「どーやらそーみたいだなァ」

「しかし、そんな簡単に認めるなんて、彼女もいい度胸してるな。三宅が内部に報告することくらい分かり切ってたろうに」

「さ、斉木さんは頭がいいタイプの人だと思ってたんですけど……」

 鳴沢が首を捻ると、神藤が同調して頷く。

「だよなー。オレもさ、亜美チャンって賢い子って印象だったから。それが謎でさ」

 三人の、斉木さんを評価しているみたいな言い方が妙に腹立つ。私はイラッとしながら肩を竦めた。

「さあね。どうせ否定してみたところでバレるって思ったんじゃないの? だから抵抗をやめたとか……そんなことより」

 その苛立ちに任せて言葉を切ると、神藤、鳴沢、三宅の順に彼らの顔を見渡す。そして。

「裏切り者だって確定したからには、こちらも何か手を打たなきゃいけないって、分かってるでしょ?」

 三人それぞれが困惑した顔で小さく頷く。

「手を打つ――今まで通りに倣えば、『退会の儀式』ってコトだろ?」

「そう。規約違反者は強制的に退会させて、口を封じる。それが『Club Camellia』のルールだからね」

 三宅の言葉に頷きを返すと、隣の神藤がニヤっと笑みを浮かべた。

「じゃ、じゃあっ……あ、あの斉木さんを、撮れるんですね」

「そうだよ。彼女はもう商品じゃないんだから、いつも通りに好きに撮っちゃって」

「ちょっと待って」

 ご褒美を貰った犬のようにキラキラした表情の神藤を横目に、ストップを掛けたのは鳴沢だった。

「――即、斉木さんを退会させるって意見には反対だ」

「え?」

「斉木さんが稼ぎ頭なのは、皆も知ってる通りだろう。だから今、彼女を手放すのは『Camellia』にとってデメリットになる」

 思わぬ反対意見。私はぽかんと彼の顔を見た。

 今まで、規約違反者には例外なく『退会の儀式』を行ってきたっていうのに。

「ン、そーなンだよなァ。亜美チャンって客ウケイイからさ、こんなに直ぐバイバイっていうのも勿体ないっつーか……」

「すぐだろうが違反は違反でしょ。これまでだってそうだったんだし」

「うん、違反が拙いのは当然なんだけど、注意勧告を挟んだらどうかなって思うんだ」

 鳴沢の意見を擁護し始めた三宅に睨みをきかせてみると、その鳴沢が提案する。

「注意勧告?」

「一度の過ちで強制退会させられるって、本人も全然予感してないと思うんだよ。だからこそ、三宅の問いかけにも素直に答えたんじゃないかな。

今までの子たちならそれでも構わなかったかもしれないけど、その子たちと斉木さんを一緒くたにするのは損な気がする」

 どうやら鳴沢は、彼女を即退会させるのは早計だと言っている。

 『Camellia』の利益のため、一度警告をして様子を見てはどうだろうか、と。そういうことだ。

「そういうのって、特別扱いなんじゃない?」

「特別扱いだよ」

 鳴沢はキッパリ言い切った。

「特別扱いにする価値がある。『Club Camellia』にとって斉木さんは貴重な人材だからね」

「オレもそう思う。スカウトするオレから見ても、カノジョ以上の子ってもう現れない気がするしさ」

 三宅も鳴沢の意見に賛成らしい。私は隣でココアのカップを両手に抱えた神藤を見た。

「あんたはどう思うの、神藤?」

 言葉通りに真っ直ぐ訊いたつもりだったけど、神藤はびくりと肩を揺らしていた。

 コイツだけでも反対してくれないかという期待――いや、念、か――が、伝わってしまっただろうか。

「あの、その……えっと」

 別に苛めているワケじゃないんだけど。神藤は手元のカップを弄びながらもごもごしていた。

 空気を読み、私を怒らせない回答を頭の中で練っているのかもしれない。

「…………」

 考えに考えた挙句、神藤は黙り込んでしまった。諦めた私はふうっと息を吐く。

「私としては、斉木さんを特別扱いにするのは納得いかない。そんなの、今までの子たちが可哀想じゃない」

「利益追求主義の水上らしくない意見だな。斉木さんが特別扱いに値するっていうのはさっき話したろう?」

 改めて私が反対すると、普段なら割合早めに折れる鳴沢が、珍しく噛みついてくる。

「それは分かった。鳴沢の言う通り、彼女は『Camellia』に貢献しているよ。今までに類をみないほどね。

けど今までの子たちだってそれなりに稼ぎは上げてたんだ。なのに斉木さんだけ優遇されるっていうのは――その子たちに悪い気がしない?」

「そもそも、『退会の儀式』は水上が定めたんだろう。可哀想っていうのはちょっと変じゃないか?」

「……か、可哀想っていうのは、内容のことじゃなくて。その、挽回のチャンスを与えられずに強制退会させられたことで――」

 言葉を重ねれば重ねるほど心の内側がチクチクした。

 鳴沢の言っていることは理解できるし、その方が『Camellia』の利益になるっていうのももっともだ。

 是非とももう一度チャンスを与え、頑張って欲しいと思わなくもないのだけど……。

 何でか、それが斉木さんだと思うと、認めたくない。

 他の誰が同じ立場でも、きっと鳴沢の意見に賛成する。でも彼女だけはダメだ。

 筋道立てて説明することはできないけど、私の中にいるもう一人の私が、そう叫んでいる。

「…………」

 鳴沢が深くため息を吐く。頑なに拒否する私に、業を煮やしているようだった。

「あー……なァ、水上、ニンゲン誰しも間違いってあると思うンだよ」

 私と鳴沢との間に生じた不協和音をどうにかしようと、三宅が努めて明るい口調で切り出す。

「もしかしたらさー、亜美チャンも『個人的に会ってくれたら、お小遣い弾むよー』なンて言われて、フラフラっと誘いに乗っちゃったのかもしれないじゃん?」

「だとしても規約違反はダメだって言い聞かせたんだから。制裁受けても文句言えないでしょ」

「……うーん、ま、そーなンだけど」

 三宅もとことん鳴沢の味方。必死に私を窘めようとしてくるのが逆にムカつく。

 強い語気で三宅を黙らせると、私はもう一度鳴沢を向く。

 やっぱり納得いかない――と告げようとして、先手を取られた。

「どうしてそんなに突っかかるんだ?」

「えっ?」

「水上がどうしてそこまで斉木さんを罰したがるのかが、全然分からない」

「べ、別に罰したがってなんて――」

「それとも個人的に斉木さんのこと嫌いとか……そういう気持ちがあったりするの?」

「…………」

 鳴沢に指摘されて、直ぐに「違う」とは言えなかった。

 彼女のことを羨ましいと思うことはあっても、嫌いだなんて意識したことはなかった。

 ……でも。きっとそうなんだ。

 いつしか心の中で斉木さんのことを疎ましいと――嫌いだと思ってしまっている。

 『ふふっ、確かに、川崎センセはセンセっぽくない所が魅力だからなぁ』

 『気付かなかったんですか、ふふ、可愛い』

 
だって、私は川崎センセにあんなこと言ったりできないし――

 『あぁ、斉木はいい意味で高校生っぽくないもんな』

 ……川崎センセにこう言われることもないだろうから。

 今朝からムカムカしていた胃の上辺りが、きゅっと締め付けられるような感覚。不快感に耐えようと、ぐっと奥歯を噛んだ。

 三宅も、鳴沢も、神藤も――川崎センセも。こぞって斉木さんを支持するなんて。

 だからといって、別に私が否定されてるワケじゃないって分かってる。分かってるけど彼女を肯定したら、私が負けてしまう気がして。

 ――何に負けるのかなんて知らないけど。

「とにかく、斉木さんを切るのは得策じゃないよ。やっぱり彼女にはもう一度――」

「ダメ。絶対にダメ」

 鳴沢の言葉を遮り、私は断固としてかぶりを振った。

「水上……」

「『Camellia』の最終決定権は私にあるんだよ、忘れたの? ……誰が何と言っても、ワンモアチャンスなんて認めない。

斉木さんは私たちを裏切った。裏切り者には『退会の儀式』を――以上。異論は却下」

 私は早口で一気に捲し立てると、椅子の後ろに置いていたスクールバッグから財布を取り出し、ドリンク代の小銭を置いた。

 私が「こうだ」ど言い切った内容は覆らないと、この三人は知っている。だから、誰一人不服そうな顔をしているヤツは居なかった。

 ……寧ろ三人から哀れむような、心配そうな表情を向けられているのが落ちつかない。

 早々と帰り支度を始め、いつもヘラヘラしている顔を引き攣らせている三宅を向いて言った。

「私、今日は塾だから帰るわ。……『退会の儀式』の決行は近日。何かしら理由付けて斉木さんのスケジュール確保しておいて」

「あ、あァ、分かった」

 ヤツが頷いたのを確認して、私はその空間から逃げ出すように入り口へと向かう。

 ……公私混同、なのかもしれない。それでも構わない。

 彼女に『退会の儀式』を――と考えるだけで、例の胃のあたりのムカつきがスッと消えていくのを感じた。

 私って何て悪いヤツなんだろうとやり切れなくなるけど、今はその方法でしかこの不快感から逃れられる術を思い付かない。

 私は微かに笑みを零しながら、自動ドアを抜けて駅へと急いだ。