Scene.5-5




「智栄さぁあん、今日もお勉強ガンバって下さいねぇ〜」

「はい、いってきます」

 吉川さんのカンに障る甘い声音や、彼女の隣で堂々とイチャつく父の姿に耐性がつき始めた頃。

 その日はやってきた。

 ・
 ・
 ・

 お昼休み、自参したランチボックスを開けようとしたとき、不意に携帯が震える。

 すぐに確認してみると、『メールを受信しました』との文言。差出人は鳴沢だった。


 ――――――――――――
 送信者 : 鳴沢啓斗
 件名 : 隣で待機
 ――――――――――――
 本文 :
 昨日入会した河野さんに、
 早速指名が入った。
 『隣で待機』を希望している
 から、時間作れないか?

 
―――――END―――――

   
 河野?

 誰だったっけ、と脳内で検索を掛ける。

 ……ああ、そうだ。三宅のツテで引っ張ってきた、B組の河野由香利のことだ。

 思い出したと同時に、「彼女に?」と少々驚いた。

 河野さんは――こういう言い方も何だけど――決して見てくれのいいタイプではない。

 決して「可愛い」とか「美人」とかって言われるような感じじゃないのは、審美眼に自信のない私から見ても明らかだ。

 しかもずっとバレーボール部で活動していたこともあり筋肉質だし、リーダーシップを執る方なのかちょっとキツい雰囲気があり、

 それはプロフィール写真からもひしひしと伝わってくる。

 より女性らしい子を好む今までの客層からすると、あまり受けのいいタイプとは言い難いから、個人的には入会は難しいんじゃないかと思ってたけど、

 三宅が「きっと大丈夫だ」と推すものだから、まぁこういうキャラが一人くらいいてもいいのかな、と折れたくらい。

 それなのに、写真を載せてすぐに指名とは――斉木さん以来の大手柄だ。

 私はお弁当そっちのけで、鳴沢に返事を打った。


 ――――――――――――
  宛て先 : 鳴沢啓斗
  件名 : 隣で待機
 ――――――――――――
  本文 :
  本当?
  河野さん
需要あるんだー。
  わかった、今日ね。時間
  つくるから、ホテルの確保
  したら場所教えて。
 ―――――END―――――


 我ながら失礼な物言いかとも思うけど、これが正直な気持ちだから仕方がない。

 三宅のヤツ、こないだ童貞卒業したばっかりのくせに、女を見る目だけは養われてるんだな。改めて感心する。

 斉木さんが辞めて一週間。稼ぎ頭の穴を埋めてくれるのは、案外、河野さんだったりして。

 なんて考えながら、残りの二人にも手早く連絡のメールを入れる。


  ――――――――――――
  宛て先 : 三宅聡史
  宛て先 : 神藤駿一
  件名 : 隣で待機を
 ――――――――――――
  本文 :
  本日決行することになりま
  した。三宅はなるべく参加す
  ること。急で悪いけど神藤
  は絶対だから悪しからず。
  詳細は鳴沢から返事が
  来次第送るからよろしく。
 ―――――END―――――


 送信ボタンを押すと、携帯を傍らに置き、お弁当箱に手を伸ばす。

 最近の吉川さんは、朝食と一緒にお弁当まで作ってくれるようになった。

 それまでは、ランチといえば登校途中のコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチだったけれど、

 「よければ私に作らせて下さい!」なんて、懇願されてしまっては断れない。

 ランチクロスを解いて蓋を開けると、中身はウサギやパンダをモチーフにしたおにぎりが二つと、タコに見立てたソーセージや、

 パート型や星型にくりぬいた野菜、ヒヨコやクマの顔を模した卵焼きとハンバーグ。

 ……などなど、まるで幼稚園児仕様。

「……あ」

 やっぱり今日も入っていた。お弁当と一緒に、可愛い花柄のメモ用紙。

 そこには、「今日のイメージは動物園です。午後の授業も頑張ってくださいねぇ〜☆」との文言が。

 吉川さんはいつもテーマを決めてお弁当を制作する。

 彼女の張り切りとは裏腹、いい歳をした私は誰かに見られたら気まずいので、いつも派手なものからこっそり口に運んでいる。

 そういう苦労もあるし、最初はお弁当だなんて要らないお世話だと思った。

 別にそんなこと望んでいないし、吉川さんの自己満足に付き合わされる私の身にもなれと。

 けど、毎回毎回手を変え品を変え、華やかなお弁当を作るって、結構めんどくさいことなんじゃないだろうかと考えてから、

 その部分でだけは、ちょっとだけ吉川さんを見直すようになった。

 彼女の肩を持つ気は全然ないけれど、朝昼晩、三食全く欠かすことなく作り、なおかつ仕事も続けるっていうのは、

 なかなか大変なんじゃないだろうか。例えそれが、父親に取り入るためだとしても、だ。

 ならその努力は認めてあげたっていい……ような気がした。

 だからって、私があの二人を疎ましいと思う気持ちは、揺るがないのだけれど。

 箸を取り出し、いざ食べようかというところで、再び携帯が震える。神藤からだ。

 てっきり、ただの「了解しました」メールかと思いきや、少し違った。


 ――――――――――――
  送信者 : 神藤駿一
  件名 : Re:隣で待機を
 ――――――――――――
  本文 :
  はい、必ず行きます。
  あの、水上さんはそれまで
  の間、どこで時間を潰すつ
  もりですか?
  もし塾とかでなければ、よ
  かったら僕に付き合っても
  らっても構いませんでしょ
  うか?
 ―――――END―――――


 ……神藤に付き合えって? 何でまた?

 しかもどうして私がアイツに付き合ってやらなきゃいけないワケ?

 
『―――僕、昨日、斉木さんと瀬野が……その、ホテルの前で一緒に歩いてるところ、偶然見ちゃったんですよ』

 すぐさま理由を吐かせるような文面を作成しながらも、先日のことが過る。私はすぐにそれらを消して、書きなおす。

 神藤がこんな風に自分の要求をぶつけてくることは珍しい。

 何の意図もなく私を誘いだすようなヤツでもないし、この間の斉木さんの件くらいの爆弾を、見つけてしまったという可能性もある。


 ――――――――――――
  宛て先: 神藤駿一
  件名 : Re2:隣で待機を
 ――――――――――――
  本文 :
  わかった。付き合うよ。
 ―――――END―――――


 私は短く返事をすると、漸く賑やかなお弁当に箸を入れる。

 
『今日のイメージは動物園です。午後の授業も頑張ってくださいねぇ〜☆』

 吉川さんの書く字は、いかにも女の子の文字ですというように、コロコロと丸みを帯びていた。

「だとしたらタコは仲間はずれなんじゃないの」

 思わず、口の中で呟いた。動物園というより水族館だろう。

 私は小さく笑ってそのメモを折りたたみ、 ブレザーのポケットの中に仕舞いこんだ。

「水上」

 一口目を頬張ったちょうどそのとき、真後ろから誰かに声を掛けられる。

 身体を捩って振り返ると、訝しげな表情の鳴沢がいた。

「何か、嬉しそうだな」

「え?」

 嬉しい? 私が?

 ……そんな顔をしていただろうか。

「別にそんなことないけど」

「ふうん、まあいいけど。……これ」

 鳴沢が差し出して来たのは学級日誌。私は片手でそれを受け取り、机の中にしまった。

「ありがと」

「…………」

 鳴沢は、私のお礼を聞き届けるでもなく、踵を返してしまった。

 何なの。いつもはそんなに無愛想じゃないくせに。

 最近、勉強が忙しいのか、鳴沢の機嫌があまりよくない。

 普段から誰にでもニコニコするヤツではないけど、何か気に入らないことがあるみたいに、イライラした様子でいることが多い。

 お医者さんのお父さんから、プレッシャーでも掛けられてるんだろうか。

 でもまあ、それくらいで済むならいい。『Camellia』の仕事に差し支えない程度なら。

 私は前に向き直りつつ、中断した昼食を再開したのだった。

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

「す、すみません。水上さんだってお忙しいのに……」

「本当だよ」

 放課後、神藤が私を連れてきたのは、いつも四人で使うファミレスだった。

 私がジャブとしてキツめの冗談を入れてやると、ビビリな神藤は不安そうに眉を下げ、うっと黙り込んでしまう。

「軽い冗談じゃん。真に受けないでよ。……で、何なの? あんたが呼び出すからには、それなりの理由があるんでしょ?」

「…………」

 私から本題を切りだしてやると、神藤は怯えた表情のまま俯いてしまう。

 ……自分から呼び出したくせに。

「言いづらいなんて思わなくていいんだよ」

「えっ?」

 ハッとした表情で顔を上げる神藤に、私は肩を竦めて続けた。

「斉木さんと瀬野みたいな内容だとしても、告げ口したなんて罪悪感を覚える必要は全くない。

ルール違反してる側に落ち度があるんだから」

 また女の子と客の密会でも発覚したのかもしれない。だとしたら、躊躇する必要はない。

 気の弱い神藤にしてみれば、言いづらいと思ってしまうかもしれないけれど。

「…………」

 神藤は、黙って首を横に振った。そういうことではないらしい。

「じゃあ何なの? 別に私と意味もなくお茶飲みたかったワケでもないんでしょ」

 そうする理由なんて何処にも見当たらない。

 苛立ちから、ホットティーの入ったカップのソーサーを人差し指で叩いてしまう。

「私もそんなに暇じゃないんだよね」

「は、はい……そうです、よね」

「で、そろそろハッキリしてよ。何だっていうの」

 放課後付き合えと言ってきたのは神藤の方だ。この場所を指定したのも神藤本人。

 コイツに何か言ってもらわなければ、何も始まらないのに。

「……四時半」

 神藤はちらりと腕時計を見てから、呟いた。

「それがどうかした?」

「シゴトは、な、何時から、何処でしたっけ」

「八時から『splash』の304だってメールしたじゃん」

 昼休み中に鳴沢からリザーブの連絡が届いたから、もう全員に通達済みだ。

 送ったメールを見ればわかることを、どうしてわざわざ確認したりするんだろう?

 私は自分の携帯をブレザーから取り出し、送信したメールを開いて、目の前の男に見せてやった。

「へ、変更とか、なかったのかなって……」

「ないよ。てか、そういう場合は、都度連絡してるでしょ」

「で、ですよね、わかってます」

 何なんだ本当に。変な神藤。

 いや、いつも変だけど、今日は輪をかけて変だ。

 掲げた携帯を折りたたみ、テーブルの上に置いてからため息を吐く。

「わかってるならいちいち訊かないでよ」

「す、すみませんっ……」

 乱暴な物言いをする私を見る神藤の目に、うっすら涙が浮かんでいる。

 少し言葉を荒げるだけでそんなに怯えるなら、怒らせないでくれたらいいのに。

「いいかげんにしてよ、神藤。用がないなら、私、ここ出ていくけど」

「あっ、あの――……」

 私が席を立つ素振りをみせると、神藤は慌てて片手を伸ばし、引き留めようとする。

 キッと睨みつけてやると、ヤツは視線を彷徨わせて、控えめに問うた。

「えっと、その……さ、最近、鳴沢くんと三宅くんの様子って……ど、どうですか?」

「鳴沢と三宅?」

 誰かと思えば、ビジネスパートナーの名前。

「……どうって、特に何も。いつも通り仕事してるけど」

 私は椅子に深く腰掛け直してから言った。

「いつも通り……ですか?」

「――あ、鳴沢はちょっとイライラしてるっていうか、機嫌悪い感じの態度だったりもするけど」

「…………」

 言葉にはしなくても、ヤツの顔には「やはりそうか」と書いて見えた。

「それがどうかしたの?」

「……僕、心配で」

「心配?」

 神藤があまりに思いつめた顔をするものだから、つい噴き出してしまった。

「アンタが心配してどーなるってモノでもないでしょ。鳴沢は医者になるんだから、勉強漬けで扱かれるのは決まり切ったルートじゃん」

「…………」

「神藤こそ他人のことを心配してる暇なんてないんじゃないの。私や三宅よりは塾の日数も多くて頑張ってるみたいだけど、

これから先、試験日に近づくにつれていくらでも追い抜かされる可能性があるんだから」

「……そうじゃない、です」

「え?」

 ……そうじゃない?

「ぼ、僕が心配しているのは、勉強のことなんかじゃなくて……も、もっと、大事な――」

 神藤は珍しく語調を強くして、何かを口にしようとしたけれど。

「――す、すみません。これ以上は、僕の口からは……い、言えません」

「…………」

 苛立ちを通り越して、私は呆れ始めていた。

「言いかけたことを止めるのはマナー違反って、教わらなかった?」

「あ、あう……」

「もういいよ。真面目にアンタの相手してると疲れる」

 一体、何だっていうんだか。

 っていうか、どうして私が真剣に神藤の話を聞いてやらなきゃいけないの?

「そ、そういえば、その……み、水上さんの好きな人とは、その後、どうですか?」

 神藤への苛立ちが自分自身へと傾き始めていると、ヤツがおずおずと訊ねてくる。

「……どうして急にそんなこと訊くの?」

「いえ、その……か、関係は順調なのかな、とか」

「順調も何も、私が一方的に好きなだけだもん。そういうことは特にないし」

 一瞬、斉木さんの顔が頭をチラつくけど、すぐに振り払った。

 『……何か、水上と話してるのって心地いいんだよな。こう、波長が合うっていうかさ』

 『水上だって、話したいこととか相談したいことがあるなら、いつだって俺を頼ってくれていいんだからな?』


 斉木さんと自分を比べたりして、重たい気分になったこともあったけど。

 川崎センセがそんな風に私を見てくれているってだけで、十分。

 生徒っていう立場では、これ以上を望むことなんて出来ないこともわかってるから。

「れ、連絡はしてるんですよね?」

「してるけど……あ、もしかして、カメリアコンプレックスがどうたらとか、そういう話?」

 そういえば、コイツのせいで、いらぬ心配をしてしまったんだった。

「い、いえ。もう、その話はいいんです。会ったことない人なのに、悪口みたいなこと言っちゃってすみませんでした」

「悪口――ああ」

 『す、すみません。水上さんの好きな人の悪口を言いたいわけじゃないんですっ、ただ、僕には気に掛かることが』

 ……思い返してみたら、前にこの話をしたときにも、神藤は妙なことを口走っていたような。

「そ、それより――僕、そのときに伝えたと思うんですけど」

「うん」

「僕が水上さんに感謝してるっていうのは、本当ですから」

「急にどうしたの?」

 今度は何だ。改まった口調でそう切り出す神藤に眉を顰めると、ヤツは緩く首を振る。

「い、いえ。……ただ、この間は冗談っぽくあしらわれてしまったので、ちゃんと伝えなきゃって思ったんです。水上さん、本当にありがとう」

 真っ直ぐに私の瞳を見据えてから、神藤は深く頭を垂れた。

 っていうか……濁りのない、そんな純粋な目で私を見るなっつーの。

「や、やだ神藤。アンタ、今日どうかしてるんじゃない?」

 なんだか間が持たない。

 居心地の悪さを感じて、ついつい視線を逸らすけれど、神藤の頭は下がったまま。

「やめてよっ、周りに変だと思われるじゃん――ほら、もういいからっ」

 慌てて頭を押し返してやると、ヤツは漸く顔を上げた。

 ……調子狂うな、もう。

「これからシゴトだってのに、勘弁してよ。……わ、私、トイレ行ってくるから、その間に落ち着いてなさいよね」

 私は神藤の顔を見ないように席を立つと、早足でトイレへと向かった。

 『水上さん、本当にありがとう』

 そんな感謝されるようなことなんてしてないし。

 私はただ、アンタの弱みに付け込んで、自分のビジネスの手伝いをやらせたかっただけ。

 ――別に、そんなお礼を言われる筋合いなんか……。

 結局、トイレから戻ったあとも、神藤は肝心なことになると口を閉ざしたままで。

 私は不完全燃焼のまま、このハッキリしない男と共に、待機場所であるホテルへと向かうことになったのだった。