Scene.5-7
「何すんの、やめてよっ!!」
考えるより先に鳴沢の頬を叩いていた。
私の胸元を経由してシーツの上にぽとりと落ちた眼鏡を、鳴沢が何事もなかったかのように拾い上げ、掛け直す。
「乱暴だな、水上は」
「らっ――乱暴なのはあんたでしょ!?」
『いーじゃん、どーせ水上もハジメテじゃないンだろ?』
三宅に押し倒されたときのことが脳裏を過り、背中にまたあのザワッとした、虫の這うような感覚が走る。
……あれ、と思う。
あのときの三宅は、初めてじゃないならヤらせてみろと、そういう意味でこの言葉を吐いたのだ。
でも、ついさっき、アイツは――
横目で三宅の様子を伺ってみると、ヤツはいつもの軽薄な笑みで私と鳴沢を見ていた。
「もー誤魔化さなくていーンだよ。水上、処女なンでしょ?」
私の視線に気づいた三宅が、肩を竦めて言った。
「ただのケッペキ症かと思ってたけど、まさか男を知らないだけだったとはねー。処女のクセにこンな商売に手ェ出すとは恐れ入ったよ。ホント、感心感心」
いち早くこの体勢から逃れなくちゃいけないのに、身体が動かなかった。
気づかれた……?
三宅にも、鳴沢にも。そして多分、神藤にも――
どうにか意識を働かせて、中扉で番をしている神藤の様子を窺ってみると、やはり青い顔で震えているだけだった。
「なァ水上、どーしたの?」
私をすぐ見下ろせる位置までやってきた三宅が、そう声を掛ける。
「血の気ない顔。神藤みたいになってンぜ」
「…………」
三宅がそう言うくらいなのだから、私の顔色はよっぽど悪いのだろう。
こいつらに弱みなんか見せたくないのに。身体がいうことをきかなくて、歯ががちがちと鳴る。
「寒いなら鳴沢に温めてもらえば。オレは二番目でいーから」
「よっ……余計なお世話よ」
温めてもらえば、だって?
虫唾が走る。
「変な冗談はやめて――鳴沢もいいかげんにどいて」
とにかく、毅然とした態度でいなければ。つけこまれちゃいけない。
なるべく鳴沢の顔を見ないようにして起き上がろうとすると、鳴沢に、今度は両方の手首を掴まれ、また仰向けに沈まされる。
「やっ――」
「それはできない」
私の両脚の外側に膝をつき、馬乗りになった鳴沢が、私の瞳を覗き込む。その目を恐る恐る見た。
さっきの瞳。いつもの冷静さとは真逆の何かを纏った鳴沢の瞳。
……何だか怖い。
このまま見つめていたくないし、見つめられていたくもなかった。
「ふざけないで、放して!」
「まーまー。鳴沢の想いを遂げさせてやってよ。鳴沢ってば、ずっと水上のコト好きだったンだからさ」
「……え?」
好き……って。
鳴沢が、私のことを、好き……?
「まさか、そんな冗談……」
恐る恐る、私の上に圧し掛かる鳴沢の顔を見遣った。
――少しも笑っていなかった。
「本当だよ、水上。僕はずっと……水上のことが好きだったんだ」
そう吐き出す鳴沢の声音は、絞り出すように苦しげだ。
鳴沢は、私を押さえ付ける手の力を少し緩めた。
「どうせ気づかなかったんだろう? 水上は、川崎センセしか見ていなかったんだから」
「…………」
何も言い返せない。だって本当に気づかなかった。
確かに、よく私のことを見ているなと思うことはあった。
けどそれは、鳴沢の注意深さや洞察力によるものだと信じて疑わなかったから。
「最初は、水上のために働くだけでも構わなかった。それで水上が満たされるなら。
でも斉木さんが『Camellia』に入会して、水上の様子がおかしくなっていくのを見て、このままじゃ嫌だと思うようになった。
僕を、異性として意識して欲しい――川崎センセを見るような目で、僕のことも見て欲しいって」
「純愛だよなァ。泣ける泣ける」
言葉とは裏腹な、陽気な声音が降ってくる。三宅だ。
視線だけでヤツを追うと、大袈裟に泣き真似までしてみせている。
「なのに、水上はオレら『Camellia』の敵とも言えるガッコのセンセとデキちゃってたワケだろ? そりゃナイよなァ。
だからオレがアドバイスしたのよ。水上の処女もらっちゃえば、鳴沢に気持ちが移るかもよって」
……ああ、怒るなって。コレ、水上のためでもあるンだぜ? 水上の男性キョーフ症を治してやろうっていうさ」
「っ……!!」
「はは、どーしてバレたとでも言いたげだな。つーかバレバレなンだよ。
オレに押し倒されて気が動転したり、亜美チャンのセックス見て具合悪くなっちゃってるよーじゃ、さ」
三宅の可笑しそうな顔を殴り飛ばしてやりたいと思うのに、それと同じくらい、どうしようもない悪寒を覚える。
悟られないようにと必死に隠し続けてきた弱みを、コイツらは全員、知っている。
全部、何もかも――知っている。
「荒療治になっちゃうケド勘弁してな。まァ大丈夫か、『Camellia』のオンナノコは皆やってるコトだし」
「……三宅、あんた覚えてなさいよ!」
「お叱りはオレの番が回ってきたときにゆっくりと聞くわ――とかいって、そンなヨユーなかったらゴメンね?」
「だって」と呟きながら、三宅が屈んで、私の耳元で囁く。
「ドーテー卒業ともなれば、テンション上がってワケわかンなくなるかもだし」
「なっ……!?」
私の素直な反応に気分をよくしたらしい三宅が、手を叩いてまた笑う。
どういうこと? 私は、斉木さんを抱けと言ったはずなのに。
「そ。まだ恥ずかしながらドーテーなンだよね。目の前に美味しいエサぶら下げられて食いつきそうになったンだけど、必死にガマンしたわけよ。マジ優しくない?」
「……私の命令に背いたの?」
「オレたち納得いかなかったンだもん。どうして亜美チャンだけがあんなバツ受けなきゃいけないのかって。
そりゃ亜美チャンにも落ち度はあるけど、あそこまでする必要ナイワケじゃん?」
「裏切ったわけ」
悔しさで奥歯を噛み締める。
三宅は、斉木さんとセックスしなかった。これは酷い裏切りだ。
三宅だけじゃない、こいつら三人、私の知らないところで命令に逆らっていたなんて――
「先に裏切ったのは水上じゃないか」
鋭い声音で切りこんできたのは鳴沢だ。手首への拘束が再びきつくなる。
「本当のところはどうなの、川崎センセとはシたの、シてないの?」
「や……やだっ――放してっ、放して鳴沢っ!!」
「答えてくれよ水上。さっきの反応だとまだって受け取っていいんだよね。……これが、初めてってことでいいの?」
鳴沢の目が冷たく光る。
「うっ……あ――」
怖い。怖い怖い怖い。
自分の身に降りかかろうとしていることがやっと理解できると、両手両足をばたつかせ、とにかく逃れたい一心で抵抗を試みる。
「三宅、片手を押さえていて貰えないか」
「リョーカイ。つか、なンなら両手やっとくけど」
「痛っ……!」
両手首を一つに纏められ、頭上に置かれると、三宅が手際よく自分のネクタイでその部分をきつく縛り上げる。
鳴沢はその間、ブレザーのボタンを外し、ブラウスのボタンに手を掛けていた。
「やめてっ――嫌っ、嫌ぁあああ!!」
恐怖のあまり、情けないほどの絶叫を上げてしまう。
彼らの前ではいつも女帝として君臨していた私には、この上なくみじめだったけれど――そんなことは言っていられない。
「観念しなよ、水上。そうやって叫んだりすることが意味を成さないのは、水上だってよく知ってるくせに」
ブラウスのボタンを引きちぎるように、胸元を肌蹴させる彼の声は、容赦がなかった。
「『退会の儀式』を嫌がる女の子たちにとり合わず、それを涼しい顔で見ていたのは他でもない水上だ。
……今、どんな気持ち?」
訊ねながら、鳴沢の手がブラウスの下に滑り込んでくる。
「っ……どんな気持ち、って……っ、やあっ!」
「自由を奪われて、無理矢理襲われてる今の気持ちだよ」
「……っ、い、いいわけないに決まってるっ! 放して、放してよ鳴沢ぁああっ!!」
普段ならまず他人に触れられることのないその部分に、誰かの手が這っていると思うだけで、震えが止まらない。
怖い。怖い。怖い――心の中を恐怖一色で埋め尽くされる。
お願いだから放して、鳴沢!!
もう、気がおかしくなりそうなのに……!
「―――これが水上のやってることなんだよ!!」
聞いたことのない怒声は、鳴沢のものだった。
彼はそう叫んで、胸元を弄っていた手を放すと、募った苛立ちをぶつけるみたいに、マットレスの上へ拳を振りおろした。
「……っ……あ、あっ……」
言葉にならない言葉が、唇から零れる。何の意味も持たない、音だけのそれ。
鳴沢はきつく瞳を閉じた後、意を決したように再び瞼を開ける。
「前に聞いたよね? 『水上は、自分のやってることの恐ろしさを分かってるのか?』って。
……やっぱり水上は分かっちゃいないんだ。援交の怖さも、それを束ねるってことがどういう意味を持つのかも。何もかも」
『水上は、自分がやってることの恐ろしさっていうか――そういうの、本当に分かってるのかなって思うときがある』
確かに以前、鳴沢にそんな問いかけをされたことがあった。
正直な話、鳴沢が何故そんなことを訊ねたかも分からなかったし、恐ろしさそれ自体も分かっていなかった。
いや、そのときの私は分かっているつもりだった。……つもりだっただけで。
「…………」
何も言えなかったし、言えるはずがなかった。
鳴沢は、私に愚かさにずっと前から気付いていたのだ。それを悟らせたくて、あんなことを言ったのだろう。
もしかしたら、三宅や神藤も分かっていたのかもしれない。
私に逆らえないから、大人しく従っていただけで……。
「あんま熱くなりすぎンなよ、鳴沢? ……こーゆータイプには、目には目をが一番なンだって。
早くお前がオトナのオンナにしてやれよ。それが一番堪えるンだから」
頭上で笑い交じりの三宅の声が響く。
「神藤、何ならお前のご自慢のカメラで撮ってやったらどーだ? 案外、水上ってばその気になっちゃったりして」
「っ……い、いえ、あのっ……ぼ、僕は……」
三宅が扉の前の神藤にそう促すけれど、神藤はやはり青い顔のまま首を振るだけだった。
「――水上。僕のこと、他の誰かだと思ってくれていいから」
「お願い、やめて……」
「ここまでしておいて、やめられないよ。ずっと水上にこうしたかったんだから」
私を見下ろす鳴沢は、言葉とは裏腹に悲しい顔をしていた。
鳴沢の手が、ゆっくりと私のスカートの下に差し込まれる。
「!!」
もうだめ、それ以上は――お願い、誰かっ……助けてっ……!!
これが悪い幻であることを祈りながら、私はきつく目を閉じた。
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