Scene.6-1




 そのとき――外扉を激しく叩く音が聞こえてきた。

 恐怖でおかしくなりそうだった私の思考が、突然の騒がしいノックに支配され、全神経が両耳に集中する。

 それは私の上に跨る鳴沢や、頭上で両腕を拘束する三宅にとっても同じことだったらしい。

 スカートに侵入してきた鳴沢の手の動きが止まるのと同時に、腕を束ねる三宅の手の力も緩んだ。

 ……一体、何が起きたというのだろう?

 ラブホテルの一室というのは、行為をする当人同士のみ利用するもの。外部からの接触なんてまずありえないはずだ。

 当然ながら、これまでだって一度もそんなことはなかった。

 ふと鳴沢を見上げてみる。三宅と視線を合わせる彼の顔が、困惑に染まっている。

 どうなってるんだ――二人は目と目だけで、そう言葉を交わしている様子だった。

「――はっ、はいっ!」

 そんな中。ノックの音に誰よりも機敏に反応したのは、意外なことに神藤だった。

 一瞬、大きな音に身を竦ませたものの、返事をすると見張りとして立っていた中扉を開け、短い廊下を小走りしながら外扉へ向かう。

「神藤……」

 三宅が呟く。何がなんだかわからないけれど、ひとまず神藤の行動を目で追っている、といった風。l

「いっ……今、開けますから!」

 私の体勢では神藤の動きを細かく観察することはできないけれど、その言葉とともに扉の開く音がした。

「っ……!?」

 部屋の造りは一直線。中扉と外扉が開いているから、三宅の位置からは来訪者の姿がわかるはずだ。

 その三宅が、ノックのときよりも一層驚いた様子で息を呑む。

 それにつられたように、鳴沢も後ろを向いた。

「何で……?」

 鳴沢の反応も三宅と一緒だ。来訪者の姿に、信じられないという声を洩らす。

 誰? 扉の先には誰がいるの……?

「お前たち、何してるんだ!」

 耳によく覚えのある声音が、室内に響く。

 怒りを含んだその声に弾かれるように、鳴沢と三宅が私を解放し、ベッドから降りた。

「…………」

 願い通りの自由を得られたというのに、安堵どころではなかった。

 間違いであってほしい――でも、彼の声を私が聞き間違えるはずがない。

「っ、川崎センセ――」

 金縛りにあったときのように、起き上がることができないでいる私の代わりに、三宅が彼の名を呼ぶ。

 ……嘘、でしょ?

 どうして。どうして川崎センセがここに……!?

 扉が閉まり、センセと思われる人物が部屋に上がり込んでくるのを、足音で感じる。

 ちょうど先ほど神藤が立っていた中扉の付近で、彼の動きが止まった。

「3−Aの三宅に鳴沢――あと、そこにいるのは水上だな、神藤?」

「はっ……はいっ……」

 センセの後ろから神藤が付いて来て、蚊の鳴くような声で頷く。

 どうなっているの?

 センセはどうやってここに私たちがいると知っていたの?

 今日、このホテルでパトロールがあるなんて情報は、入ってきていない。

 そもそも私たちが使用する部屋を、ピンポイントで探し当てることなんてできるだろうか?

「……あー、センセ、何か用っすかァ? てか、どしたンですか、ラブホなんて来ちゃって」

 この特異な状況をいち早く飲み込んだ三宅が、何でもないような口調で明るく訊ねる。

「それはこっちの台詞だろう。お前たち、こんなところで一体何をやってるんだ?

ここが高校生が利用する場所じゃないのは、当然わかってるんだろうな?」

 けれど、川崎センセは今の今までこの部屋に流れていた険悪な空気を察知していたみたいに、淡々と且つ深刻に問い掛けてくる。

「あははー、ちょっと受験勉強をね〜。ほら、優等生の鳴沢や水上もいることなンで、教えを乞おうかと」

 ラブホテルで勉強。
 
 三宅だってそんな無謀な言い訳が本気で通用するとは思っていないのだろうけれど、いつもの調子でのらりくらりとかわそうとする。

「三宅の言ってることは本当か、鳴沢?」

 真剣に答える気のない三宅に訊いても無駄だと思ったのだろう。川崎センセが、今度は鳴沢に訊ねる。

「…………」

 鳴沢は何も答えなかった。いや、答えられなかったのかもしれない。

 コイツもコイツで、相当混乱しているのだろう。

 その鳴沢の空白を補うように、再び三宅が口を開く。

「ってかー、よくオレたちがこの部屋にいるってわかりましたねー。まさかオレらのことツケてたンですかー?」

 しらじらしいくらいにフレンドリーな声の三宅。それでもそのテンションにつられることなく、センセは静かに言った。

「神藤から連絡貰ったんだ。『水上が危ないから、助けに来てくれ』って」

「……ヘェ?」

 一瞬、三宅の声音が低くなる。

 私は漸くのろのろと上体を起こし、三宅がそうしているように、川崎センセの後ろに隠れるように立っている神藤を見た。

「ふーん、そう。神藤、オレたちに隠れてそンなことしてたンだー?」

「っ……」

 口調こそ常を装っているものの、追及の視線を向ける三宅。

 その視線に怯え、神藤は身体を震わせて俯いてしまう。

「それより――答えろ、三宅、鳴沢。水上に何をしていた?」

 神藤に代わって応戦したのは川崎センセだ。神藤を庇うみたいに一歩前へ出ると、厳しく問い詰める。

「あはは、ヤーダなー。別に何もしてませんって。どーして怒ってンすか?」

「笑い事じゃないだろう! ……そこで何をしていたんだと訊いてるんだよ!」

 そこ――と言いながら、川崎センセが私を指差す。正確には、私が乗っているダブルベッドを。

 扉を開けたとき、三宅が私の自由を奪い、鳴沢が私の上で馬乗りになっているところを、センセは目撃していたのだ。

 言い逃れをしようとする三宅に怒鳴るけれど、ヤツの態度は一向に変わらない。

「何をしていたって、言ったでしょ。お勉強してたンすよ。……そンで、休憩がてら楽しく身体を動かそうってね。

肉体的な快楽っていうのは、受験鬱とかにいいって、どっかの偉いヒトが言ってましたよ?」

 ――寧ろ、図々しく『何が悪いの?』とでも言わんばかりに、開き直り始めた。

「都合のいいことを言うな、何が休憩だ。……水上、泣いてるじゃないか」

 センセが私の顔を顎で示しながら言う。

 指摘されて、反射的に手の甲で涙を拭ったけれど、それは決して三宅の言い分に合わせようとしたからじゃない。

 自分よりも立場が下だと思っていた三宅や鳴沢に――大嫌いな男に、辱められそうになったという事実を、認めたくなかったから。

「泣いてる? あァ、うれしナミダとかなンじゃないンすかねー?」

「三宅、お前っ――」

 半笑いのままふざけたことを抜かす三宅に、掴みかかろうとする川崎センセ。

 危険を察知した三宅が、両手を前に突き出して「まあまあ」と強めに宥める。

「生徒のオレに手ェだしたら体罰になっちゃいますけど、いーンですか? 今、いろいろウルサイでしょ?

……つーか、何でそんなに怒ってるってか、むきになっちゃってるンですかー? アヤシイなー」

「どういうことだ?」

 諌められて少しクールダウンしたセンセが、怪訝そうに訊ねる。

「もしかして、相手が水上だからかなァー? 授業外でも仲いいですもンね、二人」

 三宅は――ううん、『Camellia』の幹部三人は、私と川崎センセが恋人同士であると勘違いしている。

 私を引き合いに出すことで、センセと私の関係を白状させようとしているに違いない。

「お前たちもそうだけど――水上は俺の大事な教え子のひとりだからな。こんなことを知って、放っておけるわけないだろ」

「本当にそれだけなンですかね?」

「……? 何を言っているんだ、三宅?」

 ところがセンセのほうは、三宅の意図が汲めないらしい。これまでよりも疑問の色を濃くして、再び三宅に訊ね返す。

 ……そんなの当たり前だ。センセにとって私は、数居る生徒の中のひとりでしかないのに。

「勘違いしないでよ、三宅。本当に違うんだってば」

 堪らず私は口を出した。

 センセは関係ない。私が一方的に彼を想う気持ちはあるけれど、彼はそれを知らないのだから。

「おいおい水上、ここまで来ておいて、まーだしらばっくれる気?」

 こちらを振り返って肩を竦めた三宅。私を見つめる眼光は鋭く、胡散臭い笑みがスッと消える。

「――認めろよ水上。そうやって知らないフリして、オレたちに全ての罪をなすりつける気なら、

『Camellia』のこと、ゼーンブ川崎センセにゲロっちゃってもいいンだぜ?」

「っ!?」

 背中がヒヤッとするのと同時、息が止まりそうになる。

 ――『Camellia』のことを、川崎センセにバラす……!?

 もし……もし、『Camellia』の存在や、私たちの立場が、センセに知られてしまったら……。

 それだけはダメだ。絶対に、何があっても――!!

「三宅、あまり喋りすぎるな。そんなこと軽率に口にすると」

「オレたち自身の首を絞めることになるって言いたいンだろ?」

 冷静さを取り戻した鳴沢は、流石にそれは拙いと判断したのだろう。

 居直るくらい落ち着いているように見えて、実は暴走しつつある三宅にストップを掛けるけれど、取り合わずに続ける。

「……お生憎サマ。どーせ黙ってたって、オレや鳴沢、神藤が全部背負わなきゃいけないって筋書きなンだ。

どのみち悪事がバレるなら、水上だって道連れじゃなきゃ納得できねーだろ? 言いだしっぺは水上なンだから」

「お願い、やめて――」

 考えるより先に、私はそう懇願していた。

 『Camellia』のことが川崎センセに知られてしまうなんて、そんなの耐えられない。

 『川崎センセに知られちゃったら、色んな意味で危険じゃないですか? あのセンセ、正義感が強いから、こんなの絶対見過ごせないでしょうし』

 斉木さんの台詞が、呪詛のように蘇る。

 私が援助交際の斡旋をしていることを知ったら、センセはきっと私に失望する。軽蔑する。

 ――嫌いに、なる。

「ヘェ、やっぱり愛しの川崎センセには黙ってたワケか」 

 私の反応を見れば一目瞭然だ。三宅は確信を持った口調で言い、再度センセの方に向き直る。

「……一体、何の話をしているんだ?」

 私たちの間で交わされた会話が何を意味するのか、センセは少しも気づいてはいないようだ。

「――とにかく、どんな理由があろうと、か弱い女子生徒に寄って集って乱暴な真似は見過ごせない。

これは、教師として言ってるんじゃない。ひとりの人間として、そういうのは許せないんだよ、俺は」

「か弱い?」

 派手な色の毛先を揺らし、可笑しそうに声を上げて笑う三宅。

「――だってさ、水上。おもしれーな」

 私を揶揄する言葉を吐き捨てながら、三宅が続ける。

「……ならさ、丁度いいから、ココでセンセに打ち明けてみたら? か弱いお前の本性をさ」

「本性?」

 センセがオウム返しに訊ねた。三宅は一度大きく頷いて、言った。

「水上、お前が――うちのガッコの援助交際をサポートしてやってるってこと。教えてあげなよ」