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Scene.２-１

　翌朝、登校して一時限目の準備をしていると、メールの着信があった。

　――――――――――――
　送信者 : 三宅聡史
　件名 : 昨日は
　――――――――――――
　本文 :
　ごめんなぁ･ﾟ･(●´Д｀●)･ﾟ･
　ゆるしてくれよぉm(´・ω・)m　
　―――――END―――――

　…………。

　三宅のヤツ、私が相当頭にきてるって感付いてるワケだ。

　だけどこういう書き方が余計に私を苛立たせるとまでは考えつかなかったらしい。

　昨日の怒りがまた湧き上がりそうになるのを堪えつつ、私は速やかに返信をした。

　――――――――――――
　宛て先 : 三宅聡史
　件名 : Re:昨日は
　――――――――――――
　本文 :
　別にもういい。
　それより、斉木さんに話をつ
　けておいてくれたんだよね？
　写真撮りたいから都合聞いて
　おいて。
　もし今日空いてるようなら、
　前に神藤に頼んだ子と一緒
　に撮っちゃおうと思う。
　―――――END―――――

　あんまり昨日の出来事に拘るのはスマートじゃない気がした。

　変に気にして『弱み』とも言える私の事情を知られるのは困る。三宅を敢えて責めたりはせず、用事だけこなす様に告げた

　直ぐに向こうから返信が届いたので、早速開いて確認をする。

　――――――――――――
　送信者 : 三宅聡史
　件名 : Re2:昨日は
　――――――――――――
　本文 :
　さんきゅー（●´Ｕ｀）
　了解((*ﾟДﾟ)ゞ
　―――――END―――――

　……顔文字がいちいちムカつく。

　と返したくなったけど、別にいいか、三宅だし。

　そんなことより――私は自分のノートの表紙を取り出して、それを見遣った。其処には自分でプリントアウトした時間割が貼ってある。

　成陵では3年生になると、ある程度自由に時間割を組むことができる。

　必修科目以外は進路とか受験科目に合せて選べるから、非常に効率がいい。

　現に私は、プログラミングが好きな所為か理数系科目が得意なので、進路もそっち系かなーなんて思って、

　理系中心の授業を組んでいる。はずなんだけど……。

　そんな私の時間割の中で、ちょっと異様な組み方をしているコマがある。

　土曜の三,四時限、『古文２』というコマ。

　同じ時間、別の先生の『数学C』も選べたのだけど、敢えて必要なはずのそちらを蹴って、『古文２』を受講することにした。

　担任の小宮センセに首を捻られたのを「古文の対策が心配なので！」なんて、もっともっぽい理由をつけて乗り切ってみたり。

　実は古文という科目自体にはさほど興味がなくて……興味があるのは、そのコマを受け持つ先生、だったりする。

　川崎千紘（かわさきちひろ）――川崎センセは、国語科を担当している先生だ。

　二年生の授業で始めて彼の姿を見たとき、保健体育の先生かと思った。そうでなければ、芸術系とか……。

　国語科って、こう言うとアレだけど、ちょっと地味なイメージがあったからかもしれない。あと全体的に年齢がいってる先生が多かったりとか。

　そういうイメージの中、川崎センセは大きく外れていて、「まだ辛うじて二十代だ！」って言ってたし、

　結構長身で――百七十五センチよりは高いかな。それに、ほどよく筋肉質。

　ウォータースポーツが趣味らしく、休みの日はスキューバだかサーフィンだかで忙しそうにしている。

　だから肌も健康的に焼けていて、髪色も品を損なわない程度に明るいし、体育会系っぽく声もよく通り、何より清潔感がある。

　――無難にモテそうというか、彼女が絶えず居そうなタイプだなと思ったのが第一印象。

　だから正直、最初は好きじゃなかった。三宅とかもこのタイプに入るのだけど、そういう要領のいい男性に好感が持てないのだ。

　世間一般の好みとズレているとは自覚しているものの、好きになれないものはしょうがない。

　けど、その最初の授業の出欠を取った時のこと―――。

　私の『智栄』という名前は、よく『チエ』と間違えられる。別パターンでは、『トモエ』の時もあった。

　自慢じゃないけど、今まで小学校から高校までの間、初対面で正しく呼ばれたことなんて一度もなかった。

　かなり変わっている名前だと自覚してるし、別にちゃんと呼ばれなかったからって不満に思ったこともなかったけど、

　新しい先生やクラスメイトに出会うたびに訂正しないといけないのは面倒だなぁとは感じていた。

　なのに川崎センセは、初めて会った２-Aの教室で、私の名前を『みなかみちさか』と正しく呼んだのだ。

　純粋に、びっくりした。だから、つい、

　『どうしてご存知なんですか？』

　と訊いてしまった。そしたらセンセは事も無げに目を細め、笑いながら、

　『名前っていうのは意味があるんだから。ちゃんと呼ばないと失礼だろう？』

　とだけ答えた。

　後から知ったのだけど、どうやら彼はその年に受け持つクラスの正式な名簿に目を通してから授業に臨むらしい。

　たったそれだけのことだけど、偏差値だけに拘る他の先生とはどこか違う気がした。

　それまで文系教科――特に古文なんて一番興味がない分野だったのだけど、真面目に勉強していい点を取ろうと思うようになった。

　お陰で、先日の小テストでは、鳴沢共々百点を取ることができたってワケ。

　だって年度の初めだし、此処は頑張らないとって思ってたから、鳴沢にも教えて貰いながら勉強したもんね。

　……しかし。鳴沢も『古文２』を受けているとは驚いた。

　医学部の入試科目は国語が必要不可欠だろうから、鳴沢が『古文２』を受講していても何ら不思議はない。

　でも、流れとして、このコマが空いていれば『数学C』を取るのが自然なんだけど。

　まぁ、他人のことは言えない身なので、訊いてみたことはないし、訊くつもりもないんだけどね。

「………」

　私は時間割の中の、『古文２　担当：川崎』とプリントされた文字を指先でなぞった。

　週一回のセンセの授業はいよいよ明日。そうだ、今日の休み時間は、予習の質問をしに行こう。

　そう決めると、休み時間さえ待ち遠しく感じてしまう自分が可笑しいなと思いつつ、

　一時限目の教室へ向かうためバッグを拾い上げた。

　・
　・
　・
　・
　・

「失礼します」

　そうして昼休みを向かえ、私はランチを後回しにして、ノート片手に職員室の扉をノックした。

　そうっと開けると、既に何人かの先生方は昼食を取りに行ってしまっているらしい。

　ちょっと心配になって、お目当ての川崎センセの姿を目で探した―――あ、いた。

　センセは、ブルーのプリントTシャツに黒いテーラードジャケット、それにベージュのチノパンという格好で、

　淹れたてなのか熱そうなコーヒーを、立ったままで啜っていた。

　今日はまだフォーマルな方だ。普段は、「この人って先生？」というようなラフなファッションが多い。

　他のセンセに何も言われないのかな……と少々気になるところ。

「おー、水上」

　扉から覗き込む私を見つけたセンセが、コーヒーをデスクに置きながら呼びかけてくれる。

　その表情はやさしくて、まるで太陽みたいに明るい。

「どした、小宮センセに用事か？」

「いえ。川崎センセ、今お時間大丈夫ですか？」

　センセのデスクへと近づきつつ、そう訊ねてみる。

「ああ、大丈夫だけど」

「明日の授業の予習してたんですけど、ちょっとわからないところがあって」

「相変わらず勉強熱心だな、水上は――そうそう、こないだのテスト、百点だったぞ。頑張ったな」

　そう話す口ぶりは、私を誉めてくれているのにセンセ自身も嬉しそうで、表情に刻まれた笑みが更に深くなった。

「いえ……。普段苦手な分、頑張らなきゃって思ってたんで」

　その表情を見ていると、何故か妙に照れくさくて、私は少し視線を外した。

「苦手？　そうか？　……去年からどんどん成績伸びてるだろー。寧ろ文系のヤツよりかなりよくできてるよ」

　意外そうに先生が首を傾げた。

　――だって、センセの授業だから頑張ってるんだもん。

「もしかして、俺の教え方がいいのかなー、なんて」

「……あ、はい、センセの教え方、すっごく解りやすいです」

　一瞬、『俺のおかげかな？』なんて意味合いで聞こえてきてしまい、返事につまるものの、直ぐに訊き間違いであることに気づいて頷いた。

　危ない危ない。

「はは、ありがとう水上。そう言ってくれると嬉しいよ」

　事実、川崎センセの授業は人気がある。センセ自身のサッパリした人柄もあるんだろうけど、講義がすごく解り易いのだ。

　プリントもシンプルかつ使いやすいものを作ってくれるから、受けたいと希望する生徒も毎年たくさんいる。

　希望者が溢れた場合は抽選になったりする年もあり、今年はまさにそういう状況。

　ハラハラしつつも運よく受講することができて、一安心していたところだ。

「……で、わからないとこっていうのは？」

「あ、はい、『若紫』の60ページのところなんですが……」

　センセは、ノートに写した原文を何度が頷きながら、私の質問を聞いて答えてくれる。

　回答を聞きながら、真剣な眼差しを時折盗み見たりして――熱心な先生だと思う。

　休み時間中、生徒が質問に来ても嫌な顔一つしない。それどころか、解るまで根気よく教えてくれる。

　私が知っている適当な大人とは違う。……どうしてもそんな風に思ってしまう。

「――って感じで、ざっくりした説明だったけど、わかったか？」

「はい。ありがとうございます」

「よしよし。古文ってのはストーリーの把握とテクニックだからな。水上は要領いいから、大丈夫だよ」

「はい！」

　好感を持っている先生に認められるっていうのは、やっぱり理由無く嬉しいもので。

　私の返事も、無意識に弾むようなそれになっていた。

「源氏物語は、しっかり押さえておくといい。模試にも本番にも出やすいしな」

　今、授業で取り扱っているのは、古典小説の中でも取り分け有名な『源氏物語』。

　川崎センセは、問題として扱われやすいという理由で積極的に取り上げていく方針なようだ。

　そういえば、他の選択授業で、『源氏物語購読』みたいな、教養に近いコマも持ってたな。

「川崎センセって、もともと『源氏物語』がお好きなんですか？」

「うーん、大学の卒論は『源氏物語』で書いたから……そうだな、好きといえば好きだけど」

「そうなんですか」

「ただ、光源氏って好きじゃないんだよな」

「え？」

「光源氏というよりは、あの時代の結婚のシステムっていうか」

「あー……正室以外に側室とか愛人を作ったりとか、そういう……？」

「そうそう。俺、何かそういうのダメなんだよなあ。感覚がわからないっていうか。だから、学生のうちは読んでるとイライラしちゃって」

　なるほど、そういう人もいるんだ。と思った。

　女性はそんな感情を持つ人も多いだろうと思うけど、男性はあまりいない気がして。

　一夫多妻は男性にとって都合のいいシステムだったりするじゃない？

「でも女性の登場人物は好きだな。皆それぞれ、魅力があって」

「へぇ。じゃあ、一番好きなのって誰ですか？」

　好奇心からかそう訊ねてみると、川崎センセは真面目に考え込みながら、

「一番……一番ねぇ……。悩むなー……」

　などと呟き、選択に迷っていたけど、

「やっぱり朧月夜かなー」

「朧月夜……」

「カッコいい女だからさ。水上は知ってる？」

「いえ、あんまり……」

　聞いてはみたものの、授業で取り扱う範囲以外は全然読まないものだから、私は首を横に振った。

「そうか。んー、なんていうかなー……。あの話には珍しく、源氏に振り回されずに自分を持った強くて潔い女性って感じで……。

でも華があってつい目を惹いてしまうとか、今で言うと小悪魔っぽい要素も持ってるような……とにかくいい女性だよ」

「イメージするのが難しいですよー。誰かに似てる、とかありませんか？」

　センセは一生懸命説明してくれているんだけど、いまいちよくわからなくて、そう訊いてみた。

　芸能人とか、有名人なら解り易い、と思ったんだけど―――。

「……そうだな、千葉先生、とか」

　言おうか言うまいか、迷ったようなそぶりがあったけど、センセは確かにそう言った。

　意表をついて他の先生の名前が出てきたので、私はすぐに反応することが出来なかった。

「……あー、千葉先生。確かに、若くてキレイですよねー。もしかして、アタック中ですか？」

　彼女の名前を出すとき、どうして躊躇したのか。

　勘ぐりたくなってしまい冗談のつもりでそう笑いかけた。『そんなワケないだろ』って言って欲しかったから。

「いやー……俺にその気があってもねー。向こうにないことには」

　なのにセンセは、まるで本当に気があるみたいな口ぶりでそう返した。

　千葉先生……千葉真琴（ちば　まこと））先生は――今年、うちの家庭科のセンセとして赴任してきた若い先生。

　茶髪のスパイラルパーマが今っぽく、いつも明るくて元気で、華やかなオーラを感じる美人。

　……何となく、わかってしまった。

　川崎センセは、千葉先生みたいな人がタイプなんだ。もしかしたら千葉先生が好きっていうのも、本当かもしれない――。

　だからどうってこともないのだけど、微妙にショックなのは何でだろう？

　他の先生や生徒には内緒だぞ、なんて笑う川崎センセと適当に挨拶を済ませて、私は教室へと戻った。

　・
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　・

　――――――――――――
　送信者 : 三宅聡史
　件名 : 亜美チャン
　――――――――――――
　本文 :
　今日の放課後空いてるって
　さ。(*´∀｀)ﾉ
　―――――END―――――

　３－Aの教室で携帯を開けると、三宅からこんなメールが来ていた。

　よし、これでまとめて写真が撮れる。早速神藤にも連絡しないと。

　――――――――――――
　宛て先: 神藤駿一
　件名 : 今日の撮影
　――――――――――――
　本文 :
　今日の写真撮影、１人追加
　ね。合計2人撮って貰うから。
　―――――END―――――
　
　
　神藤宛に、一人追加した旨を送りながら、私はぼんやりと携帯のディスプレイを眺めていた。

　余程長い間見詰めていたのか、そのうちディスプレイが節電のために真っ暗になり、鏡のように私の顔を映し出す。

　―――ああ、このガッカリ感はそういうことか、と理解した。

　真っ黒なオシャレっ気のないボブ、決して大きくはない瞳、小さめの鼻、薄い唇、果てはノーメイク。

　まだ高校生だから、と別段気にしたことはなかったけど――確かに、千葉先生のイメージとは程遠い。

　太陽と月、どちらが自分に近いかと言われたら、迷わず月だ。派手じゃなく、地味な月。

　千葉先生なら断然、太陽で――それはきっと、川崎センセも同じ。私にとっては、二人とも眩しい太陽。

　私は、川崎センセの理想にはまったく交わっていない。だから、残念だと思うんだ。

　センセの好みなんて、私には全然、関係ないことなのに……。

　と、バイブレーションの音と共にディスプレイの灯りが戻り、神藤からの返信を映し出す。

　――――――――――――
　送信者: 神藤駿一
　件名 : わかりました。
　――――――――――――
　本文 :
　了解しました。
　よろしくお願いします。
　―――――END―――――

　……余計なことを考えている場合じゃない。

　『Camellia』の中だけでも、やることはいっぱいあるんだから。

　私はゆっくりと深呼吸をしてから、開いていた携帯を折りたたんで仕舞った。