暑い日が続いていたし、アブラゼミはまだ鳴いていた。
 そんな風に夏を引きずった9月最初の登校日、始業式の日。
 私は、土屋と肩を並べて家へと帰る途中だった。

「ったく、校長の話も年々伸びてるような気がすンな」
「仕方ないでしょ。もうご老体だし、ボケの始まりじゃない」
「相変わらずお前、毒舌だよな」
「悪かったわね」

 日陰を選ぶように、車線を跨いで右に行ったり左に行ったりする私を、土屋が追いかける。

「……それにしても、まさか『紺野楓失踪事件』が起るとはな」
「でも無事解決したでしょ」
「それも俺と長澤のお陰だからな。感謝しろよ」
「事件の原因の一部は土屋だもん。だぁーれが」
「やっぱお前、可愛くないな」
「可愛くなくて結構」

 そう言葉を交わしあいながらも、私達は笑っていた。
 お互いに、その悪口が愛情表現だと解かっているからだ。
 あの後、レイジのマンションから出てきた私を、土屋が酷く怒った。
 何でこんな所に居るんだ、とか。どうして知らない男について行くんだ、とか。なんとか。
 問い詰めるうちに少し瞳を潤ませたりして、結局二人揃って泣いた。

 
『俺のこと好きなら、お前に気ィあることくらい、気づけよ!バカ』

 土屋のあの台詞は、きっと何があっても忘れない。それくらい嬉しかった。
 どうやら土屋は、私が告白した直後の中3の夏ごろから、私の事を意識するようになったらしい。
 告白されたのが初めてで、返事の仕方がわからず断ってしまったのだという。
 私に思いを打ち明けようとしてはいたけれど、全部裏目に出てしまう。そんなこんなで高3までズルズル。
 ……酷い話だ、と思った。それじゃあ私の悩みの半分は無駄だったってことになるのだから。
 でもまぁ、仕方ないか。私も土屋も、好きな子を苛めるタイプなんだから。

「長澤に報告した時の騒ぎようったら凄かったな」
「うん、私も吃驚した」

 葉月には、帰ったその日のうちに謝りに行った。
 凄く心配したんだよって、葉月も其処で泣き出して。また私も泣いて。お陰で暫く顔中がヒリヒリ痛かった。
 両親の方はというと、警察に届ける寸前で。
 叩かれたし怒鳴られたけど、『帰ってこなかったら死のうかと思った』って最後にお母さんが呟いたのが、まだ耳の奥に残ってるような気がする。

「まぁ……でも、よかったよな。無事で」
「うん」

 土屋の言葉にゆっくりと頷く。
 あの日以来、レイジとは会っても居ないし、連絡もしてない。
 私が夏期講習を受け初めて忙しくなったせいで、きちんとお礼をしに行けたのがつい先日。
 でも、あのマンションにレイジの姿は無かった。多分、引っ越したんだと思う。
 彼の行き先を探そうとして、何の手掛かりも無いことに気が付いて……本当に私は彼のことを何も知らなかったんだなって思った。
 そう、結局私には解からなかったんだ。
 何故、レイジが私を『助け』ようとしてくれたのかという、その理由を。

「な、どっか寄らねェ? 暑くて融けそう」
「んー、いいよ。何処行く?」
「何処でも。その辺のファーストフードで良い」

 それまで向かっていた住宅街の方角から、駅の方へと方向転換する。
 夏休み、クーラーの効いた予備校の講義室で、彼の洩らした言葉を手掛かりに、1つ仮説を作った。

 
『んー、俺の母校だから』
 『蝉の一生ってさ、アイ。名門校の受験戦争に似てるよね』


 彼のパソコンデスクの下に、埃を被った六法全書を見つけたことがあった。
 もしかして、レイジも私と同じだったんじゃないか。
 私と同じように、昔、居場所を探していたんじゃないか。
 ……もし、そうなんだとしたら。
 レイジに居場所は見つかったんだろうか。
 レイジは、レイジ自身を許せているんだろうか―――。

「信号変わるぞ、ほら」

 目の前の横断歩道、その信号の青色が点滅し始める。
 土屋が走り出そうと、手を差し伸べた。

「ん、行こう」

 私はその手を取り、彼と共に走り出した。
 ねぇ、レイジ。
 もし、いつの日か貴方に会える時がきたら。
 ここが私の居場所だと、胸を張れる様になっていたい。そう思うの。
 だから私は此処に居る。

 

 此処で、生きて行く。