Scene.1-2
けたたましい目覚まし時計のベル音に無理矢理起こされ、私は冬眠直後の熊みたいにのっそりとベッドから這い出てくる。
眠い。半端じゃなく眠い。ついでに頭も少し痛い。
昨日、ちょっと飲みすぎちゃったかなぁー……。
けれど今日ばかりはのんびりと寝てるわけにもいかない。
今日は4月7日、私立成陵高校の始業式だからだ。
記念すべき教師としての初出勤なんだから、気合を入れて――。
「げっ、8時……!? 嘘でしょ!?」
ベッドの上に転がる目覚まし時計の針が指す時間を見て、私は思わず叫んだ。
8時2分。8時2分。8時2分。
何度見直しても時間は戻らない。しまった、失敗した。
「どうして!? ちゃんと目覚まし止めたじゃない、もう!」
喚きながらも理由は何となく解かっていた。多分、ベッドの中でうだうだしているうちに時間が過ぎてしまったんだろう。
朝って時間の感覚が無いから怖い。
とにかく……さっさと支度をしないと!
大急ぎでシャワーを浴び、スーツに着替える。この日のために買って置いた、大好きなブランドの白いスカートスーツ。
ウエスト部分のベルトと、袖の折り返しのチェックが凄く可愛くて一目ぼれしてしまった。
着替えを全て済ませれば、今度はメイク。本当は色のあるメイクが好きなんだけど、最初の印象を良くする為にブラウン系で地味目に。
この時点で既に時間がギリギリだったから、髪は学校まで保留。
割と長いから乾いてないし、ついて直ぐトイレでどうにかすれば問題ない。元々パーマが掛かってるから、それほど面倒じゃないしね。
バッグにスタイリング剤を詰めて、慌てて家を出る。こういう時パンプスって走りづらくて嫌になる。
脱いで走りたい衝動に駆られるけど、我慢してそのまま爆走。
学校まで歩いて10分の距離にマンションを借りて本当によかった。
途中、必死になって走る私を不思議そうに見遣る生徒が何人か居たけれど、気にしていられない。
「良かった……間に合った!」
辿り着いた通用門から校舎の壁に掛かる時計を見上げれば、8時45分。
どうにか、教職員の招集時間に間に合った。
ホッとしたのもつかの間、私はまだ髪型を整えていない事を思い出し、慌ててトイレへと駆け込んでいった。
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「真琴ちゃん、お疲れ様。ステージの上は緊張した?」
「少しね。上から全校生徒見下ろすなんて高校生以来だもん」
無事髪型も整えて校長や教頭に挨拶をし、そのまま始業式へ。
体育館の舞台の上での挨拶は、いよいよ教師になるんだって感じで悪くなかった。
その帰りの廊下で、芽衣がにこにこしながら話しかけてくる。
「そうだよね。じゃあ私ホームルームがあるから、後でね」
「うん、頑張れ」
芽衣は3年C組のクラスを受け持つ事になったらしい。
というのも、去年まで芽衣は同じクラスの副担任をしていたのだけれど、
担任をしていた先生が病気で入院したために急遽、ということだ。
副担任なんて所詮名ばかりで、実際そのクラスと関わった事なんて少ないようだから、今からクラスに馴染むのは大変だろうな。
3年は受験もあるから気を抜かないで頑張らなきゃとも言っていた。
初めての担任が3年生なんて、凄いプレッシャーだと思う。
特に芽衣の場合、年齢が若いってこともあるし、不安な事はキリないんじゃないだろうか。
「ふー……」
廊下で芽衣と別れて、別段行くところのない私は職員室へと戻った。
職員室の中はオフィスさながらの雰囲気で、よく言えば小奇麗、悪く言えば殺風景。無駄なものが無い。
無いといえば、とにかく色が無い。白い壁に白い床、カーテンカラーとデスクはグレー…まるでこの空間だけモノクロ映画の中のよう。
誰も花とか飾ったりしないところを見ると、男の先生が多いんだろうか。
扉をくぐり、中を見渡すとやはり教師たちの姿は殆どなかった。
担任を受け持っている教師たちは今頃、其々の教室で連絡事項を伝えているはずだ。
「そうだ、例の高遠先生って――」
私は口の中で小さく呟いた。
芽衣が好きだという高遠先生も担任を持っているのだろうか。
彼に興味があった私は、特にする事がない、というのもあり彼の机を探す事にした。
けど、だだっ広い職員室ではどの先生の机が何処にあるのか解からない。
この学校、職員の机の位置とか書いた紙無いのかな。
よし。聞いてみよう。
私は残っている職員の中で、一番扉側の机に座る男性教諭に話しかけた。
「すみません、教職員の座席表お持ちですか?出来ればコピーさせて頂きたいんですけれど」
すると、その男性教諭は私を見上げて穏やかな笑みを浮かべ、
「ありますよ。予備がありますので差し上げます」
と、一番上の抽斗を開けてプリントを一枚、差し出してくれた。
「有難うございます。助かります」
私はそのプリントを受け取り、ぺこりと男性教諭にお辞儀をした。
「いえ、何でもないことですから。お気になさらず」
彼は笑顔のままに緩く首を振って言う。
私はそんな彼をじっと見詰めた。
ダークグレーのスーツに、ブルーの細いストライプのネクタイ。それに黒い革靴。
私の記憶だと、確かフランスのブランドのものだったと思う。どれもそれなりに高そうだ。
でも決して嫌味な訳ではなく、眼鏡の似合うクールな顔立ちも手伝って上品で知的な雰囲気を与える。
早い話、普通にカッコいい。
こんな先生が私の高校時代にいればよかったのに、なんて思ってしまうくらいに。
「えっと……千葉先生、でしたよね」
「あ、はいっ……そうです」
暫く彼の顔を見詰めっぱなしだったことに困惑したのか、確認するように訊ねられる。
私も慌てて視線を逸らしてから頷くと、彼はそうですよね、などと呟きながら、
「まだ慣れないでしょうけれど、頑張ってくださいね。解からない事、僕でよければ聞いてくださって結構ですから」
と、ありがたい言葉を掛けてくれる。
その後彼は、私に一礼するとプリントの束を持って職員室を出て行った。
凄く感じのいい先生だ。ああいう先生が一人でも居るとやりやすい。
私は、機嫌を良くしながら今しがた受け取ったプリントに目を通した……高遠先生の席を見つけないと。
高遠、高遠、と頭の中で呟きながら指で印刷された職員の名前を辿っていく。と。
「―――あった。あれ、此処……?」
その名前は、扉の近く、私の目の前の席を示していた。ということは。
「今の人が、高遠先生……?」
なるほど。芽衣が夢中になるのも無理はない。
カッコいいし、優しいし、気が利く。たった少しの間接した私でもそれだけは解かるもの。
でも芽衣ってば……容姿なんてどうでもいいなんて言っちゃうには勿体無い人じゃないのよ。
ともあれ、あの先生なら大事な親友の芽衣とくっつけてもきっと大丈夫だろう。
私はそう確信し、キューピッド計画を改めて決意したのだった。
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