Scene.1-3
うちの高校は二週に一度、職員会議が行われる。
普通の高校は月に一回というパターンが多いけれど、何かと生徒の成績を気にする成陵は、
割とマメに、やれ教科の授業方法が、やれ宿題の配分が〜などの話し合いを重ねている。
4月の最初の登校日である今日はちょうど職員会議の日で、生徒の下校後、教職員は全員職員室へと召集された。
「芽衣、私、高遠先生と話しちゃった」
「え? 何で?」
教頭が会議の資料を読み上げる中、机が隣同士の私と芽衣がひそひそ声で会話をする。
本当なら教科ごとに机が固まっているために、私と芽衣の位置は遠いはずなのだけど、
音楽科は芽衣一人だけだし、家庭科も私の他に講師の先生が一人居るだけだから、上手く私達は隣り合わせる事ができた。
私達の席は窓際で、入り口近くの教頭の机からは程遠く後ろの方なので、多少音を立てても気付かれることはないだろう。
「何でって、まぁ同じ学校に居るわけだし。話しかけたら偶然高遠先生だったっていうか」
「そうなんだ……」
言いながら何故か芽衣の表情が暗くなる。
「何でそこで沈むのよ?」
私が不思議そうに首を傾げると、芽衣がだって、と口を尖らせながら
「だって、真琴ちゃんは美人だし、高遠先生が好きになるかもしれないでしょ……?」
と、呟く。私は笑い出しそうになるのを堪えて、
「あのねぇ、何ワケわかんない事言ってるの? 同じ学校で働いてれば話すこと位あるし、第一そんなこと絶対ないから」
「解かんないよ、高遠先生はかっこよくて優しいから……」
私が笑顔で窘めようとしても、芽衣は首を振って取り合わない。
「もう、そうやってウジウジ蛆虫みたいに悩むの悪い癖だよ?
私は絶対高遠先生のこと好きにならない、約束する。言ったでしょ、芽衣と高遠先生くっつけたげるって」
ね?と、念を押すように言うと、芽衣はやっと、しぶしぶといったように小さく頷いた。
芽衣は昔から、恋愛に関しては必要以上に卑屈になる。もっと自信を持ったっていいと思うのに。
「――という訳で、次の議題へと移りたいと思います。前年度から話し合っている授業改革案についてですが……」
議題が変わると、芽衣は議長である教頭へと向き直って背筋を伸ばした。
私もそれにつられて姿勢を正して、教頭の話に聞き入る。
ついにこの議題か……いつか芽衣が私に話してくれた、『揉め事』。
「えー、我が校では1年次、美術、音楽、家庭を合計で6単位組み込んでおりましたが、3単位に変更して他の―――」
「待って下さい教頭! ただでさえ2単位に抑えているのにこれ以上どう削れと仰るんですか」
そう言い、芽衣の別隣で美術科の結城先生が立ち上がる。
「ええと、今、他教科の先生方から出ている案としては先ほど提示した教科の時間を、1単位ずつ英数国にですね」
「ですから私のお訊ねしている事は、これ以上どうやって削ればいいのかということです」
結城先生もどちらかというと若い女性で、成陵に長い間在籍していることもあり強気に言葉をぶつけていく。
「何も授業をなくすと言ってるわけじゃないんだ、1単位に減らすだけでしょう」
そこに数学科の山内先生が口を挟む。
わざわざ嫌味な声音でいう所を見ると、結城先生と仲が悪いというのは本当のことらしい。
「芸術の授業でも、1年間でかならず終了しなければならないカリキュラムが有るんです! そんな簡単に言わないで下さい」
山内先生の言葉を受けて、ただでさえ結城先生の顔に刻まれていた眉間の皺が深くなり、彼女は声を荒げる。
芸術科の先生は感情的なのがセオリーだから、きっとこの先生もそうなんだろう。余計な事を言ったら怒鳴られそうだ。
「しかし成陵は学力重点校ですからね。生徒たちの学力が低下している今、こちらのほうに時間を回していただかないと」
そんなの知ったことではない、と涼しい顔で山内先生が言い払う。
「何ですって!?」
「まぁまぁ、結城先生も山内先生も落ち着いてください」
もめる二人の間、咄嗟に教頭が合の手を入れて宥めようとする。
ちらりと芽衣の方を見遣ると、苦笑を浮かべていた――日常茶飯事なんだろうか。
他の教師たちも、また始まったかと深刻そうな表情をしているものは誰も居ない。
あぁ、何だかイライラしてきた。正直、馬鹿馬鹿しい。
大の大人が私情で喧嘩、それを職員会議に持ち込むなんて……やってられない。
一言言ってやりたい気持ちはあるけど、成陵に来たばかりの私が動くのも何だ――確実に感じが悪い。
教頭の制止も聞かずに、結城先生と山内先生の言い争いはまだ続いている。
「大体ですね、山内先生には芸術を理解する心がないんだわ。だからそんな無神経なこと言えるんです」
「芸術が生徒の大学合格を運んできますか。おめでたい事言いますね、結城先生は」
「な、な、何よっ、山内先生、私はですね!」
「芽衣、何なのよ、これ」
極力、隣で喚く結城先生の耳に入らないように、芽衣に訊ねた。
「本当に仲が悪いんだよね……もう、ずっとこの調子なの。皆諦めてるよ」
「諦めてるって! そんなんでいいの?」
「そのうちどっちかが部屋から出て行くまで終わらないのよ。くれぐれも火に油は注がないでね、真琴ちゃん」
苛つく私の様子に気がついた芽衣は、それだけは止めてと釘を刺す。
私が短気で、思ったことを口にしやすい部分を知り尽くしているからだ。
そりゃ私だって余計な口出ししたくない。でもこんな不毛な言い争い放っておくのは可笑しいと思うんだけど。
「芸術は何も学校でなくても学べるでしょう。そんなものより基礎学力の充実を図ったほうがいいと思いますけどね」
「それこそ学力なら塾なり予備校なりがあるでしょう! 貴方よりも立派な講師が沢山そろっているでしょうしね!」
言い争いは益々ヒートアップしていくばかりで、一向に止む気配がない。
思わず、制止の言葉が出かけたとき、扉側の席で誰かが立ち上がった。
「もうそれ位にしませんか、結城先生、山内先生。毎回そうやって会議の時間をロスしてしまうのは勿体無いです」
一瞬、蛍光灯の明かりが彼の眼鏡のレンズに反射した。
高遠先生だ。
「それに……ほら、高遠先生が治めてくれるの。」
芽衣は自分が貢献したかのように、誇らしげに呟いた。
後で聞いた話なのだけど、高遠先生はじめ結城先生と山内先生は同じ2年の担任で、高遠先生は学年主任。
結城先生も山内先生も彼を信頼していて、イザという時の纏め役となっているみたいだった。
まさに鶴の一声。あれほどいがみ合っていた二人が大人しく黙ると、すかさず教頭が
「ええと……まぁ、直ぐに結論が出る話でもないので、次回の会議までに各教科の先生や校長と熟考して、来年からの方針としたいと思います。
次の議題ですが……」
それに比べてこの教頭の威厳の無さ。
それなら今日議題にする必要なかっただろうに。
ここの校長は好きだけど、こういうはっきりしない人ってあんまり好感が持てない。
やっと落ち着いた雰囲気へと戻った職員室に、新たな議題が教頭の声に乗って響いた。
「最近、本校の女子生徒の間で売春…援助交際が流行っているそうです。
その行為は生徒自身を傷つけるだけではなく、学校の品位にも関わり……」
男性の教頭には多少言いにくい話題らしく、背広のポケットから取り出したハンカチで額を拭きながら説明している。
へぇ、援助交際ね。私達が学生の時が一番ピークだったんだけど……まだあるんだ。
大体、大人が悪い。高校生のお嬢ちゃんにお金払ってイタズラするなんて、情けないったら。
私はその後ダラダラと続く教頭の話に、更に呆れてしまった。
「なお、最近は教師が買春をして逮捕されるという事件がありましたので……そんな事はない思っておりますが、くれぐれも、宜しくお願いしますね」
何が『宜しく』なのか、教頭は詳しくは口にしないまま、曖昧に言葉を切った。
……教師が生徒と援助交際ね。一体、どうなってるの?
念押しされなくても、そんなの犯罪じゃない。誰がしますかっていうのよ。良識持ってる教師ならわかっているに決まってる。
馬鹿にしてるんじゃないかと思いつつ、最後の議題が終った。時計を見遣れば終業の時間……16時半を示していた。
初仕事は、どうにか無事に済んだみたいだった。
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「それにしてもさ、高遠先生って凄いんだね」
「でしょ? 真琴ちゃん、私の気持ち解かってくれた??」
「うん、まぁね」
会議の後、芽衣は私の家で一緒に夕飯をとる事になった。
教員になることをきっかけに一人暮らしを始めた私は、まだ孤独な生活に慣れることができなくて、ついつい誰かを呼びたくなってしまう。
芽衣も初出勤を終えた私を労ってくれるつもりだったらしく、二つ返事で頷いてくれた―――本当に、この子ってば良い子だなぁ。感心。
「真琴ちゃん、オリーブオイルどこ?」
「んー、コンロの下の戸棚開いたとこにあるよー」
「んもう、真琴ちゃんてば、家庭科の先生なら作ってくれたっていいのに〜……私、そんなに上手くないんだからね」
ジャンケンに負けて調理を担当する事になった芽衣が、不服そうにキッチンから訴えてくる。
「いーじゃない、作ってよ。楽しみにしてるからさぁ〜」
「不味くてもしらないからね〜?」
普段仕事でめいっぱい料理してるんだから、たまには誰かの作ったご飯が食べてみたいのは本当。
芽衣はまだフライパンを前にブツブツと何事か呟いている。
……あ、今日のメニューは、どうやらペペロンチーノみたいだ。バチバチはねる油の音と、ガーリックのいい匂いが漂ってくるのが解かる。
「そうそう、それで高遠先生だけどさー。なかなかカッコよかったし、ホント、私、芽衣との仲応援するからさ」
「え?あぁ……うん、そうしてくれるのは、嬉しいけど……」
突然、彼の話に戻ったことに少々驚きつつ、芽衣が言葉の語尾を濁らせる。
「けど何よ? まだ『私と高遠先生じゃつり合わない〜』とかそんなこと言うつもり?」
「だ、だって……ほ、本当のことじゃない。真琴ちゃんの方がよっぽど似合うよ」
「ちょっと、どーしてそこで私が引き合いに出されるのよ?」
私は思わず、ベッドに寝転がっていた身体を起こし、程近いキッチンへと這って身を乗り出す。
「高遠先生は、私なんかより大人っぽい真琴ちゃんの方が絶対好みだと思うもん。だから……」
「あー、もう、また始まった!」
私は四つん這いのままに、拗ねたように口を尖らせる芽衣へわざと盛大なため息をついてみせる。
本当に、いつまでもウジウジウジウジしてるんだから、芽衣ってば。
大体私は、別に大人っぽくなんかない。芽衣の見た目が少し幼いイメージがあるからそう思うだけだろう。
まぁそりゃ、自分なりに大人路線を目指しているつもりではあるけど――それは性格の子供っぽさをカバーしたいから。
今日の会議の時みたいに、直ぐに腹を立ててしまったり口を出したくなったりするのは、私自身良くないって自覚している。
いくら髪を長くしてパーマをかけても、高価な服を身につけても、性質までは隠せない。
そういう点では芽衣の方が気持ちが優しいし、しっかりしているんだから、大人っぽいのは寧ろ彼女の方だ。
「高遠先生はあんなに人間できてるんだから大丈夫。そりゃあ付き合ってくれるとは100%言い切れないけど……
でも芽衣が好きだって言ったら絶対喜んでくれるに決まってる! 保障するよ。芽衣は良い子だもん」
「真琴ちゃん……」
コンロの火を止めると、本当?と確認するように芽衣は私を見つめる。
「本当本当! さ、出来たなら食べよう。私、お腹すいちゃった!」
私は確り2度頷くと立ち上がり、出来たてのパスタを食べるように、芽衣を促した。
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