-triangle-

prologue

　職員室の扉を開け、自分のデスクにテキストやチョークケースを置くと、私は小さく息を吐いた。

　4時間目が終わり、ランチも兼ねた休み時間ということで席を離れる先生は多く、室内は閑散としていた。

　午後の授業は残り２コマ……頑張ろう。と、自分に言い聞かせていると、

「真琴ちゃん、お疲れ様」

　既に、隣の席でランチボックスを取り出してお昼のスタンバイをしていた女性が、私にそう声を掛けてくれる。

　彼女は私の10年以上前からの親友であり、同僚の月島芽衣。

　丸くてふわふわ柔らかそうな、黒髪シンプルボブのイメージそのまま、ピュアで少女みたいな子。

　加えて幼さの残る童顔なので、本当に同じ歳だったかな、と考えてしまうこともある。

「あーもう、疲れたよー……寝不足でさ、授業どころじゃないって言うのに」

　言った傍から欠伸が零れる。ついでに目を擦ろうとしたけど、メイクが落ちそうなのでその手をぐっと堪えた。

「寝不足？何か済ませなきゃいけない仕事があったの？」

「んー」

　私は机の周囲を見回し、他の職員が近くにいないことを確認してから、少し声を潜めて言った。

「昨日、高遠のマンションに泊まったからさ」

「あ……」

　私が言うと、どうしてか芽衣が急に赤面し始める。え、何で？？

「そ、それで寝不足って、つまり……」

　その赤面した顔を隠すように、何事かをごにょごにょと発しているけど、内容は聞き取れずよくわからない。

　わからないけど……この反応は、何か深読みされてる？

　そう思った私は、ひらりと手を振る。

「ああ、違う違う。そういうことじゃなくて……。昨日、一緒にＤＶＤ借りて見てたんだけど、続きが気になってしょうがなくて、

勢いで、ある分を全部見ちゃったんだよね。……それだけ」

　言いながら、もう1つ欠伸をする。だめだ、やっぱり眠い。

　私は気分がスッキリしないと済まないようなところがあるから、

　話数が多く、完結まで時間のかかる作品はついつい区切りの良い所までのめり込んで見てしまうのだ。

　眠りたいそぶりを見せていた高遠を、無理やり付き合わせてしまったことは大いに反省している。

　この分じゃ、向こうも仕事になってない可能性が高い。

「あ、そういうことなの……」

　芽衣は早とちりだったことを悟ると、その事が恥ずかしかったのかまた赤くなっていた。

「なぁーに、芽衣。どう勘違いしたっていうのー？言ってみてよ」

「え、べ、別に勘違いなんてしてないよっ……」

「じゃあどうして顔が赤いの？説明して～」

「う･･･…そ、それは……」

　芽衣は口ごもりながら、困ったように眉根を寄せて軽く唇を噛んだ。

「ま、真琴ちゃん、わかってるならわざわざ訊かないでよぉ……」

「だぁって、芽衣の反応見るの、面白いんだもん」

　そういう仕草をするから苛めたくなるのだということを、芽衣はわかっていない。そこがまた可愛く思えてしまう。

「と、とりあえず、ご飯食べようよ」

　芽衣はこの話しは終わり、とばかりに目の前のランチボックスを開けた。

　そこから覗くロールパンサンドが美味しそう。中身はタマゴとツナかあ、いいなぁ。

　……何だか、眠い眠い言ってたのに、つられてお腹が空いてきてしまった。

　私も通勤バッグからランチバッグを取り出すと、そこからラップにくるんだおにぎりを二つ、取り出した。

　中身は両方とも梅……家庭科教師だというのに、栄養バランスも何も関係ないメニューですみません。

　とか、誰に宛てるでもなく謝りつつ、高遠のマンションは食材が少ないから、なんて言い訳をしてみたり。

「そうだね、頂きまーす」

　私はサッと手を合せると、質素なおにぎりを頬張った。

　うん。美味しい―――って、おにぎりは失敗なんて余程のことがないと有り得ないから、当たり前か。

「ねぇ、真琴ちゃん……昨日、椎名君はちゃんと家に帰ってた？」

　ロールサンドを両手で口に運びながら、芽衣が首を傾げる。

「あー、椎名君か、どうだろう。会わなかった気がするなぁ……」

「そうなんだ……。最近は生活態度は良くなったと思ったんだけど」

　芽衣はそれを心配しているようで、悩むような仕草で食べる手を止める。

「ちゃんと家に帰ってくるように、部屋で待っててあげたらいいんじゃないの？」

「！？」

　芽衣が声にならない悲鳴を上げて、手にしていたタマゴのロールサンドをぽろりと床に落としてしまう。

「あ、ちょっと、何してるの！？」

「だ、だって……」

　私がそう言うと、彼女はあたふたしながら、落としたパンを拾って傍らに置いた。あーあ、もったいない。

「ま、真琴ちゃんが変なこと言うから……」

「変なことってほどでもないじゃない、彼氏なんだから。椎名君と付き合ってるんじゃないの？」

「か、彼氏って……つ、付き合ってないよ、そ、そんなんじゃないもん」

　強く否定する割には、唯でさえ赤かった顔を首まで真っ赤にしていた。……わかりやすい子。

「え、付き合ってないの？だって、たまに椎名君と学校外で会ったりしてるんでしょ？」

「……う、うん、月に３，４回、ご飯食べたり、映画見たり、買い物したりしてるだけだもん」

「何だ、殆ど付き合ってるのと一緒じゃない」

　週一回デートしている世の恋人達と何が変わらないというのか。

　芽衣の回答を聞くと、可笑しくてついおにぎりを噴出してしまいそうになる。

「ち……違うよ……付き合ってるかどうかなんて、わからないもん……それに……」

「……？」

　何か言いかけたところで、芽衣のつぶらな瞳が悲しげに揺れた。

「……ううん、何でもない。でも、ほんと彼氏とか、付き合ってるとか、そういうんじゃ……ないの」

「芽衣、どうしたの？何かあったの？」

「………」

　私が訊いてみても、芽衣は戸惑ったように視線を逸らすだけ。

　椎名君と何かあったんだろうか？　此処最近、話を聞いてた感じじゃ順調そうだったのになぁ。

　うーん。何とか力になれないものか……。

「ねえ、芽衣。今日、放課後は暇？」

「え、今日？うん、平気だけど」

「何か気になってることがあるなら、話してよ。もしかしたら、協力できることもあるかもしれないし」

　私がそう言うと、芽衣は晴れないままの表情で「でも」と気が進まないような言葉を呟く。

「でも、じゃなくて。人に話したほうが自分が思ってることとかも整理できるじゃない？

芽衣が悩んでるのは私も嫌だからさ。お願いだから、話してみてよ、ね？」

「………」

　私が遮るように説き伏せると、芽衣は観念した様子で頷いた。

「真琴ちゃん、ごめんね。じゃあ、今日の放課後……聞いてくれるかな？」

「うん、勿論。授業終わったら、此処で待ってるから」

　此処、と自分の席を示して見せると、芽衣は「うん」と頷き、小さく物憂げなため息を吐いた。
　

　