Scene.3-3
「芽衣と椎名君、大丈夫かな……」
ベッドに腰掛けてみたものの、ソワソワと落ち着かない気持ちを持て余し、
「やっぱり、私が間に入ったほうが――」
と立ち上がりかけたところを、
「真琴が間に入るからややこしくなる。じっとしててくれ、頼むから」
なんて、高遠に念を押されてしまった。何よそれ。
『私……椎名君と二人で、きちんと話をしたいの。ダメかな?』
そう主張した芽衣は、今椎名君と二人、ダイニングで話し合っているところだ。
私と高遠は邪魔にならないように、高遠の部屋で待機してるんだけど――彼らの事が心配でじっとしていられない。
いや、彼らというよりは芽衣だ。もう正直、椎名君はどうだっていい。
「最近の高校生って、生意気にセフレなんて作ったりするのね。信じらんない」
「隼人のことか」
高遠は漸くスーツの上着を脱いで、デスク傍の椅子に掛けると、ネクタイを緩めながら私の隣に腰を下ろした。
「本当にセフレなのかは知らないけど、高校生だからだろう、きっと」
「どういう意味?」
「あれ位の歳なら衝動的になることだってある。欲求が全てなんだよ」
つまりは年頃の男の子だからしょうがないってことなのか。
そんなの納得できない。私は高遠の顔の前にびしっと人差し指を向けながら、
「じゃあ何よ、貴方も高校生の時はそうだったって言うの?」
「言ったろう、俺はそんなに器用じゃない。それに、他にもう一人作ろうなんて気は起こらなかったから」
「…………」
他にもう一人――っていうのは、当たり前だけどアヤさんの他に、ってことなんだろう。
頭で理解していても、高遠の口から聞くと面白くない。
だって、それだけアヤさんひとすじだったことで――何だか、柄にもなく嫉妬してしまう。
「――それより真琴、修学旅行に来るんだろう?」
「え?あ、うん」
高遠もなるべくアヤさんに関連する話題は避けたいようで、1ヶ月後に迫った高校上げてのイベントに触れた。
「何処か寄りたいところがあれば、仕事の合間に行かないか」
「うん、行きたい。寄りたいところかぁー、そうだなぁ……あれ、そもそも行き先って何処だったっけ?」
私がうっかりボケた事を口にすると、すかさず高遠が
「――まさかとは思うけど、プリント見てないのか?」
と指摘する。
「そ、そういえば……デスクの抽斗に仕舞ったまんま」
「……随分悠長なことで。じゃあ今見たらいい」
流石に呆れた様子の高遠が「やれやれ」と洩らしながら立ち上がり、机の一番上の抽斗から丁寧にもクリアファイルに挟んだ紙束を取り出し、
私の隣に戻ってきた。
「ほら」
「あ、ありがとう」
差し出された表紙には、『修学旅行概要』とあった。その紙を捲り、次のページに目を通す。
「行き先は―――北海道??」
「そう。二泊三日、初日は札幌泊で、二日目が函館泊」
「……北海道なんだ。私、てっきり大阪とか京都かなって思ってた」
都心の高校から行く、修学旅行の定番といったらその辺だろうという思い込みがあったから、まさか本州から抜けるなんて意外だった。
「成陵は、その回ごとにクラス委員が集まって、行き先やホテルなんかを好きなように決めることができるんだよ。
早い話、近場でグレードの高い旅行にするか、質素でも遠くに足を延ばすかを生徒が選択することができる。積立金の範囲ならね。
知らなかったのか?」
「だ、だって私、新任なのよ。そんな細かいところまで知らないわよ」
確かに知らないのは私の勉強不足かもしれないけど、職員なら常識!みたいに言われるとムッとしてしまう。
そんな私の機嫌を取るように、高遠は眉を下げて「落ち着け」とばかりにひらりと手を振る。
「わかった、わかった。……で、真琴は北海道で何処か行きたいところはある? もっとも、生徒を引率する時間が殆どだから、
行くところも時間もかなり限られるとは思うけど」
「そうだよねぇー……うーん」
高遠は2−Aの担任だ。それだけじゃない、表面的には優しく誠実な彼は、女子生徒に異様な人気を誇っている。
きっと多くの女の子が彼と観光したがるんだろう。その合間を縫って何処か行こうと言ってくれるのは、ちょっぴり優越感、だったりする。
しかし、北海道で行きたいところか……。
「そうだなぁー、生チョコも生キャラメルは定番として、ラーメンとかジンギスカンとかでお腹いっぱい食べたい気もするし、
スープカレーも捨てがたいよね。ウイスキーとワインの工場とかも興味あるなぁ……あ、あと有名なチーズケーキもあったよね!
―――って、何で笑ってるの?」
ふと横の高遠を見ると、声を殺し、腹部を押さえて笑っている高遠の姿があった。
「……いや、食べ物ばっかりだなと思って」
余程可笑しかったのか、少しの間の後、呼吸を整える高遠の顔は微妙に苦しげだった。
何よ!何処に行きたい?って訊くから答えたのに!
他人を食い意地張ってるみたいに言ってくれちゃって――否定はできないけど。
「食べ物でも一向に構わないんだけど、多分、外出できる時間は夜が濃厚だから、場所によってはちょっと難しいかもな。
あとできれば、札幌か函館から離れないほうが現実的かとも思う」
「あ、そっか……」
仕事で行ってる以上、宿泊先のホテルをそんなに離れるわけにもいかないもんね。
極限られた時間の中で、なるべく長い間一緒に居られるようにって考えると、その辺りになるんだろうか。
その条件で行ける所かぁ……。
「あ!」
「何処か行きたい場所、あった?」
「うん――私、函館山に行きたい」
昔、大学時代の友達から話を聞いたことがある。
『函館山のロープーウェイに乗って、展望台で見る夜景は最高なんだよ!』って。
元々色気より食い気だった私は、それを聞いてもふーんって感じ――女子としてどうかな、と思うけど――だったけど、
カップルで行くと雰囲気いいって言われたし、彼氏が出来たら行ってみたいとは思ってたんだよね。
きっと高遠はこういう意見を求めていたんじゃないかと、得意げに彼を見遣ったのだけど……。
「…………」
高遠は少し驚いたように表情を強張らせていた。
え、私、何か悪いこと言った……?
「ね、ねぇ、ちょっと?」
「あ、ああ――函館山か。確かに、観光名所だし、割と遅くまでロープーウェイも動いてるし……」
私が呼びかけると、彼は取り繕ったように胡散臭い笑顔を浮かべた。
つい最近、高遠のこういう顔を見たばかりなので分かる。
私は今、おそらく高遠の地雷を踏んでしまったのだろう。じゃないと、そんな態度を取るはずがないからだ。
発言したことを思い返してみるも、特に彼の気に障るようなことを言った覚えはないし、何かそこに嫌な思い出でもあるんだろうか?
いや、でも――有名な観光地とはいえ、そもそも高遠は、函館山に行ったことがあるんだろうか?
なんて邪推していると、
「わかった。じゃあ二日目のホテルの見回りが終わったら、函館山に行こう。それでいい?」
「う、うん――私は勿論いいけど……」
「上手く時間を作るようにするから。真琴もそのつもりでいてくれよ」
「わかった」
あれれ。微妙な反応の割にはすんなりと頷くんだ。
訝った私はじっと彼の顔を覗き込んでみるけれど……。
「何?」
「……ううん、何でもない」
特にうろたえた様子も無く、涼しい顔をしているだけだし―――私の考えすぎ、なのかな?
と、何処かスッキリしない気持ちを抱えているとき、部屋の外から扉の開く音が聞こえた。
その勢いの良い、大きな音に私と高遠が顔を見合わせ、私は立ち上がって部屋の扉を開け、外に顔を出した。
「芽衣センセ、待ってよ!」
「………っ!」
芽衣は廊下を駆けて靴を履こうとしているところだった。椎名君がすかさず彼女の肩を捕まえる。
「ねェ、待ってよ。オレ、本当に芽衣センセが悲しむようなことはしてないつもりなンだけど」
「だって……真琴ちゃんが言ってたもの。今日も紺野さんと一緒に帰るところだったって」
「それは……そうだけど。でも、だからって芽衣センセが気にする必要ないっていうか――」
「じゃあ、紺野さんのお家で何をしてるって言うの?」
「それは――」
「ほら、やっぱり言えないんじゃない……!」
説得するように強い口調だった椎名君が言い淀んだのを見て、涙腺が緩んだ芽衣が声を詰まらせた。
話し合いはあまり進んでいないようだ。私はさっきの怒りが再燃し、感情の赴くままに廊下に飛び出した。
「真琴!」
いつの間にか横に立ち様子を伺っていた高遠が、私を止めるような声を掛けたけどもう遅い。
「ちょっと椎名君! 疚しいことがないならちゃんと話してあげたらいいじゃない!」
「真琴ちゃん……」
私の怒声に芽衣が振り向き、椎名君もそれに倣って顔を顰める。
「真琴センセは引っ込ンでてよ。大体、真琴センセが余計なこと言うから、こンな――」
「面倒なことになったとでも言うの!? 自分の所為じゃない。芽衣に言えないようなことしてるんだから!」
「だからそういうンじゃなくて……!」
椎名君は余程イライラしているようで、舌打ちしながら私を非難するけど、悪いのは後ろめたいことがある彼の方だ。
「じゃあ何なのよ!いい加減、ハッキリ芽衣に言ってあげないと可哀想じゃない!そもそも紺野さんのことだって――」
「真琴、あまり真琴が入っていかない方が――」
「貴方は仲裁する気がないなら黙ってて!!」
高遠が私を黙らせようと連れ戻しに出てきたところを、私が吠えるように言い返す。
彼の言葉の通り、まるで本当に動物園みたいだった――主に私が原因なのは理解しているけど、
誰一人まともに会話が成立していない様は、傍から見たら非常に滑稽なのだろう。
その高遠家前代未聞の喧騒の中を、間延びした電子音が走った。インターホンが鳴ったのだ。
直後、誰もが口を閉ざす。
「―――隣の家、か?」
最初に沈黙を破ったのは高遠だった。
私が言うのもなんだけど、これだけ速射砲のように言葉が飛び交えば、誰だって苦情の一つも言いたくなるに違いない。
「真琴センセの声がキャンキャンうるさいンだよ」
「私だけの所為にしないでよ! 自分だって……」
責任の擦り付け合いをしている最中にも、催促するかの如く二回目の電子音が鳴る。
「ほら、二人とももういいから……俺が出る。月島先生も一度、此方に戻って頂いても宜しいですか?」
「あ、はい……あの、御免なさい、私の所為で……」
自分が原因でクレームが出たのではないかと、芽衣が至極申し訳なさそうに高遠へ頭を下げる。
「月島先生が責任を感じる必要はありませんよ。概ね、後ろの二人でしょう」
高遠はそんな芽衣を安心させるような言葉をかけると、彼女と入れ替わるように入り口に立ち、ロックを外した。
――私の所為にされたのは悔しいけど、間違ってないから何も言えない。
「センセの癖に、大人げねェな」
「うるさい、オコチャマ」
「あァ?」
私と椎名君がヒソヒソと小競り合いを続ける中、高遠は「はい」と余所行きの声を出しながら扉を開けた。
「どちら様―――」
「わ、本当に此処に住んでたのね! こんばんは、怜」
聞き覚えのある少し甘えたような声音に、私は椎名君との不毛なやり取りを止め、扉の外の音に集中する。
一番高遠に近い位置に居た芽衣には、その人物の姿が見えているらしく、「あ」の形の口で固まっていた。
「あ………彩、どうして此処に……?」
「うふふ、来ちゃった。ねぇ、入れてくれる?」
「…………」
思いがけないアヤさんの襲来に、高遠は勿論、私も、芽衣も、そして椎名君も信じられないものを見るような目で、扉を凝視していた。
「ねーえ、入れてよ? 荷物が重くって〜。……って、あれ?芽衣先生?どうしたのー?泣いたりして」
おそらくアヤさんが中を覗き込み、芽衣の姿を捉えたのだろう。
「……は、長谷川先生っ……ご、ごめんなさいっ」
指摘された芽衣は恥ずかしかったのか、慌てて靴を履くと高遠やアヤさんを押しのけて、玄関の外へと駆けていってしまう。
「ちょっと、芽衣センセ!」
椎名君もその芽衣を追いかけて、同様に部屋から出て行ってしまった。
「………」
「………」
あっという間の出来事に私と高遠は唖然としていたけれど、アヤさんだけは
「もしかして、タイミング悪かったかしら?」
とか、本当にそう思っているのかよく分からないくらいのにこやかな笑顔で高遠を見ていた。そして。
「――あら?もしかして、真琴先生? 今日は怜の家で何かイベントでもあったのかしら?」
一連の出来事で大きく開いた扉から私を確認し、また意外そうな声を上げた。
今しがた出て行った芽衣と椎名君のことも含んでいるのだろう。不思議そうに首をかしげている。
彼女は両手に海外旅行に使うような大きいトランクとバッグを抱えていた――なるほど、これでは重いはずだ。
「……何でもありません。ところで、何の用ですか、長谷川先生」
高遠は意識的に丁寧な口調を努め、ビジネスライクに彼女に訊ねる。
彼女にはそれが居心地悪かったのか、小さく噴出してから、
「やだ、ここは職場じゃないでしょ? そんな他人みたいに――」
「今はもう他人でしょう。どうやって此処を知ったんですか」
あくまであっけらかんと明るく接するアヤさんと、それを嫌がるような高遠が問い詰める。
「どうやってって、やだぁ、私も此処に住んでた時期があるじゃない。ところで、今の男の子ってもしかして隼人? 大きくなったわね〜」
「――ください」
「もう高校生よね? 私が知ってるのは中学生……ううん、まだ小学生だったかしら。今の制服、もしかして成陵なの?」
「いいから、帰って下さい! 長谷川先生」
いつも人前では物腰柔らかい筈の高遠が、威圧的な強い口調で言い払う。
直接告げられたワケでもない私でさえ一瞬身が竦む思いだったのだから、流石のアヤさんも押されるかと思いきや……。
「どうして? 真琴先生は良くて、私はダメなの? 納得できないわ」
彼女はたじろぐどころか腑に落ちないとばかりに、私を引き合いに出してくる。
――そうか、彼女は私と高遠が付き合っていることをまだ知らない。
だから、私を家に入れて、彼女を入れようとしないの気に食わないのだろう。
「丁度良い機会です。別に貴女に教えるつもりはなかったんですけど――真琴」
「は、はい!」
高遠に呼ばれ、おずおずと彼の隣へ移動する。
「今、真琴と……千葉先生とお付き合いをしています。ですから、彼女を家に呼んだって何もおかしいことはない。違いますか?」
彼はアヤさんに見せ付けるように、私の肩を引き寄せて言った。
「――真琴先生の彼氏って、怜のことだったの?」
彼女なりにショックを受けているのか、猫の様にチャーミングな瞳を瞠り、呆然とした様相で呟いた。
私は彼女のこの表情を見て、まだ高遠を想っていることを確信した。
突き刺さるようなアヤさんの視線が痛い。
「ご、ごめんなさい、私、別に隠してたワケじゃないんですけど……その、はい」
アヤさんの気持ちを直接聞いたことは無いけど――何となく予感がしていただけに、つい謝ってしまった。
「だから悪いですけど、もう帰って―――」
「そんなの嘘よ!」
高遠が促す声を遮ったのは、他でもないアヤさん自身だった。
「そんなの嘘……怜、私のことが好きだって――ずっと、ずっと私だけを想ってるって……そう言ったじゃない!」
悲痛というよりは憤慨した様子のアヤさんの声が玄関に響き渡ると、廊下の奥から小さな黒い影が一つ、飛び出してきた。
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