Scene.3-5




「悪いな、真琴。こんなことになって」

 その日の夜、高遠から申し訳なさそうな電話が入った。

「っていうか、自分でそう言っちゃったんだし、しょうがないよ」

 こんなこと、とは――言わずもがな、アヤさんが私の家で寝泊りするってことだ。

 当然不満はあるけど、自ら招いた災いだし、高遠の家に住むより精神的には楽かもしれないって、無理矢理、自分に言い聞かせている。

「今、彩は?」

「お風呂に入ってる」

「そうか」

 彼の疲れた、というような嘆息が携帯の受話器越しに聞こえた。

「まさかああいう強引な手段で来るなんて……。昔はこんなに我儘じゃなかった筈なんだけどな」

「そうなんだ。自由すぎるよね、アヤさん。普段から、無茶苦茶だなぁとは思ってたけど」

 彼女に毒吐いてしまうくらいなら許されるだろう。いや、許されるべきだ。うん。

「俺の知ってる彩はもう少し控えめで、多少感情の起伏は激しくても、どちらかと言えば常識的な優等生タイプだったのに」

「え? それホント?」

「ああ。服装だってあんなに派手なの着なかったしな」

「ふーん……」

 何年にも渡るアメリカ生活が齎した副産物ってことなんだろうか。

 いや、でも海外で暮らしたくらいでそんなに変わるものかな? 文化の違い?

「それより、関係ない真琴を巻き込んでしまって本当に悪かったな。早めに出て行くように、俺からも説得するから」

「あー……ううん、だからいいって。貴方の家に住まれるよりはよっぽど良いから。彼女も、私の家に長く居る気はないと思うし」

 6畳の1Kの部屋に気心の知れない女二人で住むのは、彼女も快くないだろう――という、希望的観測、だけど。

「それと……」

「それと?」

 少し言いにくそうに、彼が間を置いて言った。

「……さっきは、有難う。俺の代わりに、アヤに俺の言いたいこと、全部言ってくれたよな」

「あ、あれは―――……」

 『この際だから言っておきますけどね、アヤさん。貴女がそうやって自分勝手に振る舞ってたことで、

 この人がどれだけ傷ついたかわかってるの? 結婚を約束した彼女に裏切られるって、凄く凄く苦しいし辛いし悲しいと思う。

 悩んだし絶望もしたと思う。そんなこの人の気持ちを考えたことが、少しでもあるの!? それを、今更やり直したいだなんて――』


 頭に血が上って、気持ちが赴くまま捲くし立ててしまったことを思い出し、私は急に恥ずかしくなった。

 仕舞いには感極まって泣いたりして――いくら理不尽さに腹を立てたとしても、大人気なかったなぁ、と反省。

「……あれは、私も気に入らなかったから、つい。でも、みっともなかったよね、ごめんなさい」

「そんなことない。―――嬉しかった」

「………あ、ありがとう」

 素直にそう言われると、何か照れてしまう。

 高遠がこんな風に気持ちを伝えてくれることって、あまり無いことだから。

「ねーぇ、真琴さーん! ドライヤーってどこかしらー?」

 優しい言葉の余韻に浸っているところで、バスルームの方から能天気なアヤさんの声が割って入った。

 ……いい雰囲気だったのに。

「アヤさんが呼んでる。もう切らないと」

「ああ、わかった。おやすみ」

「それじゃあね、おやすみなさい」

 ピッ、という操作音と共に彼との通話を終え、アヤさんの待つ洗面所兼脱衣所へと向かった。

「ドライヤーですね、ちょっと待っ―――って、アヤさん!」

 洗面所の扉を開け、私は声を上げた。

 直ぐ隣の浴室でシャワーを終えた彼女は、バスタオルで身体を隠すこともなく、堂々と生まれたままの姿で立っていたのだ。

「何?」

「何、じゃないです! お願いだから、人呼んだなら下着くらいはつけててください。全く、恥ずかしくないんですか?」

「普段は何も着ないでいることが多いのよ。着てるとリラックスできなくて……」

 ……アレか。裸族ってヤツか。家の中では服着ないっていう。

 そういう人たちが実際居るのは知ってたけど、私は生憎、着ていないことがストレスになるタイプだ。

 自分しか居ないと知ってても羞恥心の方が先に立ち、気になってしまうので、彼女たちのことは理解できそうにない。

 第一、同性とはいえ目のやり場に困る。何とか着てもらわないと。

「ここは私の家なんですから。さっき、パジャマ渡したでしょう? いいから着てください」

「えぇー? どうしても着なきゃだめ〜?」

「どうしてもです。私の家に居る以上は、私のルールに従ってもらいますからね。あと、ドライヤーは3段目の抽斗に入ってますから」

「仕方ないわねー。はいはい、ありがとう〜」

 私は用件だけを端的に告げると洗面所と扉を閉め、部屋に戻ってベッドに寝転ぶと、

 直にドライヤーの排気音が部屋の外から洩れてきた。

 ―――アヤさんの相手は神経が擦り切れそうになる。

 ただでさえ、私達の関係は元カノと今カノで……所謂、恋敵ってヤツだ。

 それなのに、彼女ときたら私に辛く当たるどころか、ふてぶてしい程無邪気に振る舞うものだから、

 私としても彼女にどう接したらいいのか分からなくなる。

 『だって怜は私の事が忘れられないんだもの。それで真琴先生と付き合うっていうのは気の毒だわ』

 『今まで私の替わりをしてくれてたことは感謝してるわ。ありがとう』


 ……前言撤回。しっかり失礼なことは言われていた。

 でも、彼女は悪意があって言ったんじゃない、と思う――決して、彼女を庇うつもりは無いけど。

 おそらく本気でそう思っているのだ。アヤさんは、高遠の気持ちが自分から離れているってことを認めていない。

 だから高遠の口から、今は私と付き合ってるって言葉が出たときに……。

 『そんなの嘘……怜、私のことが好きだって――ずっと、ずっと私だけを想ってるって……そう言ったじゃない!』

 一瞬だけ、あんな風に跳ね返したんだ。

 よく思い返してみても、アヤさんが不機嫌になるところって見たことが無い。

 付き合いが浅いからそれで当たり前かもしれないけど、私が彼女の怒りを誘発するようなことを言っても、

 本人はケロっとした顔で受け流していたっけ。

 そういう部分では大人なのか、それとも全く気にならないのかは謎だけど……。

 捉えどころの無い彼女についてあれこれ考えを巡らせているうちに、微かに聞こえていたドライヤーの音が止んだ。

「真琴さん、喉渇いちゃった。何か飲み物頂いてもいいかしら?」

「はい、今持ってきますね」

 私が普段愛用している黒地に白ドット柄のワンピースに着替えた彼女――本人は何も身につけたくなかったのだろうけど――は、

 概ね乾いた髪を手ぐしで梳かしながら現れ、にこやかに要求してくる。

 それに快く頷きながら、私はキッチンに走った。

「あ、そうだ。それからね、シャンプーなんだけど」

 場所を離れた私にも聞こえるように、少し声を張ってアヤさんが続ける。

「ケチらないでもう少しいいモノ使った方がいいと思うわ?」

 ついでに自分の分も、とグラスを二つ手に取り、氷を落としたところで思わず手が止まる。

「え、でも普通に、ドラッグストアとかで――」

「ヘアサロンとかで取り扱ってるモノの方がトラブル少ないし、ほら、真琴さんってパーマヘアでしょ。その方が傷みにくいと思うの」

「………あー、はい。そうですよね」

 彼女の言ってることは間違ってない。間違ってないのだけど……何かムカつく。

 そりゃ私だって使えるならヘアサロンのシャンプーの方がいい。でも、私の給料の中で美容代に使える部分って限られてるワケですよ。

 でも、綺麗なアヤさんに言われると、努力不足なのかなと思ってしまう部分もありちょっと悔しい。

「それにねー、部屋着が黒っていうのも頂けないかなーと思うのよ。黒って、幸せが逃げる色なんですって。

そういう色を長い間身に着けてると、女性としての賞味期限がどんどん近づくって言うわ」

「…………」

 彼女は何処からか耳に入れただろう豆知識を、親切心とばかりに教えてくれる。

 基本的に私は人に悪意を持ちたくない。どの人ともそれなりに仲良くやって行きたいと常日頃から考えている。

 気に障るのは、彼女が高遠を狙っているから――そうだ、きっとそうに違いない。

 私は乾いた笑いを浮かべながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスに注ぎ、両手に抱えて戻ってくる。

 この部屋はあまり生活感が無い。何故なら、一週間のうち大半を高遠の家で過ごしているからだ。

 ベッドとテレビ、簡素な本棚にローテーブル、その上にはノートパソコン。そしてドレッサー。

 一人暮らしを始めたばかりのころは散らかり気味だったけれど、使用する頻度が極端に減り、現在は綺麗なものだ。

 ―――知らない間に溜まった埃さえ除けば。

「真琴さん、あんまり家には帰ってこないの?」

 アヤさんもそれに気付いたらしい。ローテーブルの近くに座り込んだ彼女は、その下を覗いたりしながら人差し指を滑らせた。

 ……何だか小姑みたいな仕草だ。意外とよく見てるなぁと思いつつ、 

「最近は、高遠の家に居ることが多いんです」

 と正直に答え、グラスをテーブルに置いた。

「ふーん、仲良くしてるのね〜。それにしても、真琴さんの彼氏が怜だったなんて、改めて驚きだわ」

 彼女は感心したように頷きながら、グラスを手に取り、「ありがとう」と笑った。

「それは私の台詞ですよ。長谷川先生の好きな人って、やっぱり高遠だったんじゃないですか」

 以前聞いた時には誤魔化されてしまったけど、私の予感は的中したことになる。

 私がほんの少しだけ咎めるようなニュアンスで言うと、彼女はその内容よりも、

「いい加減、その他人行儀な呼び方はよしてよ〜。実際、繋がりが深いでしょ、私達って」

 などと、私の呼び方が気になったようだ。あまり意識しなかったけど、彼女もウチに来てからは私を「真琴さん」と呼んでいる。

 ……繋がりが深いって言うんだろうか、こういうの。

「えーと、じゃあ、アヤさん、で。……それより、アヤさん。私、アヤさんにお聞きしたいことがあるんですけど」

「あら、なぁに?」

 アヤさんはグラスに口を付けながら私を見た。

 わざわざ『彼女と接する』という精神的負担を抱えているのだから、その時間を有効に使わないと損だ。

 私は此処ぞとばかりに、今日一日の彼女の発言で、引っ掛かった部分を訊ねてみることにした。

「一つは……『食品化学』の授業に関してなんですけど」

「ええ」

「あれって、やっぱり高遠に近づくために小宮先生にお願いしたんですか?」

 私がストレートに訊ねると、アヤさんは全く悪びれることもなく、

「ええ、そうよ」

 と頷いた。

「だって同じ授業を持てば一緒に居る時間が増えるじゃない? そうしたら彼が私を気に掛ける時間も多くなると思うし」

「そ、そういうの公私混同って言いませんか?」

 それによって高遠と私が少なからず動揺しているなんて、彼女は気にも留めていないだろう。ついつい反発心から口にしてしまう。

「あらあ、でも酵母については私の専門分野であることに間違いないわ。それで授業の質が上がるなら悪くないと思うけど」

「…………」

 正論だった。そう言われてしまうと何も言い返せない。

「それだけ?」

「いえ―――」

 確かめたいことはまだある。寧ろ、もう一つの方が私にとっては重要だ。

「さっき高遠の家で、彼と別れた理由をマリッジブルーみたいに言ってましたけど」

「ええ、そうね」

「私がお昼に聞いたときは確か、その……『身体の相性』って言ってたじゃないですか。あれって――」

「本当のことよ」

 今度も彼女はあくまでもサラッと言ってのけた。

「真琴さんだから言っちゃうけどね、怜ってああいう感じで、まさに優等生って感じじゃない?

私と居るときもそう――学校でも、デートでも、ベッドでも。いつも優しくて大切にしてくれたけど、私にはつまらなく感じてしまったの」

「………はぁ」

 彼女の明け透けな会話を、私は口をぽかんと開けながら聞いていた。

「そんな時に、大人で、ちょっと強引にリードしてくれる素敵な人が現れてね。まぁ、ついついそっちにフラフラしちゃうわよね」

 ―――軽い。なんて軽いノリなんだろう。思い返して嬉しそうですらある。

 なるほど、それで高遠は捨てられたのか……。心から同情せずにいられない。

「けど、やっぱり怜が一番好きだって思ったのは本当よ。離れてみないと分からないことってあるから」

「……そうですか」

 自分本位な人だと分かっていても、彼女の口から事実を聞くとやっぱり恐れ入る。

 この人は本当に凄い。本能のままに生きてるんだなって感じだ。更に、追い討ちをかけるように、

「それにね、真琴さんのソレ――付けたのが怜だって分かって、私、確信したのよ」

 ソレ、と、私の首元を示して彼女が微笑んだ。私がファンデで隠しているキスマークのことだ。

「彼はきっと以前の面白みの無い彼じゃない。そんな風に女性を愛することが出来る人だったって知って、

俄然、怜ともう一度付き合いたいって思ったの。きっと今回は上手くいくわ」

「……そ、それはどうですかねぇ?」

 私は顔を引き攣らせながらも笑顔を努めて言った。

 だ、か、ら。私は高遠のカノジョなんだってば! その私に対して言える神経が不思議でしょうがない。

「うふふ、今に分かるわ。彼が私の事を忘れられる筈無いもの」

「…………」

 絶句、だ。その自信はどこから湧いてくるんだろう。さっきあれだけ高遠に嫌がられてたって言うのに。

 ダメだ……話しても話しても、アヤさんの考えてることはよく分からない。私とは別次元で生きてると言っても過言じゃない。

 理解できると思わないで接したほうがいいんだろう……きっと。

「真琴さんの話はもうおしまい? それなら、今度は私も二つほど訊いてもいいかしら?」

「あ、はい。どうぞ」

 アヤさんも何か私に尋ねたいことがあるらしい。彼女が唇の前に指を立てる。

「じゃあその1、ね。さっき、怜のオウチに芽衣先生が居たじゃない? あと、高校生くらいの男の子。あの二人、どうかしたの?」

「あ……」

 いろんなことがあり過ぎて、すっかり忘れていた。

 芽衣はあの後どうしたんだろうか。椎名君が追いかけて行ったみたいだけど、きちんと話せたのだろうか?

「芽衣先生泣いてたみたいだけど、もしかして痴話喧嘩?」

「えっ?」

 驚いた。アヤさんは案外勘が鋭い。

 私の不審な反応が分かりやすかったのか、そうだと悟ったアヤさんは、「へぇ〜」なんて頷きながら、

「あの子、成陵の制服だったわよね。芽衣先生ったらやる〜。教え子とそういう関係だなんて」

「ちょ、ちょっとアヤさん。結構今ナイーブな状態なんで、あんまり余計なこと言わないで下さいね!」

「あら、そうなの? 大変なのね――そうそう、男の子の方って、怜の弟の隼人なんでしょう?」

「……ええ、そうですよ」

 もうバレてしまったなら隠しても仕方が無い。私は素直に頷いた。

 アヤさんがいくら非常識でも、こういう話題を誰かに言いふらしたりはしない……と、信じている。いや、信じたい。

「あの隼人が高校生になるなんてね。私も、年取るわよね〜」

「で、アヤさん。訊きたいことってそれだけですか?」

 何やら感慨に耽っているアヤさんに、私はストップの意味も込めて急かしてみた。

 芽衣と椎名君のことは、今はあまり話題にするべきじゃないと思ったから。

「そうだった。それで、その2なんだけど――」

 アヤさんは、少し気恥ずかしそうに俯きつつ、

「怜―――私のこと、何か言ってなかった?」

「は?」

 思わず、私は目をぱちくりとさせてしまった。

「そ、それは、どういう……?」

「だから、私のことについて、やっぱり好きだ、とか、惚れ直した、とか、何か真琴さんに言ってなかったかなーって」

「迷惑だって言ってましたよ」

 この時ばかりはスパッと言ってやった。

 言い換えよう。アヤさんはおめでたい人だ。

 この期に及んで、まだ高遠から好意を持たれていると本気で思っているみたいだ。

 此処まで来るとあまりのポジティブさに尊敬の念すら湧いてきそうで怖い。

「えぇー? 迷惑ですって??」

 納得できないのだろうか、アヤさんが不満そうに声を上げた。

「高遠、めちゃくちゃ嫌がってたじゃないですか。アヤさんとは他人だって言い切ってましたよ」

「……うーん、真琴さんの手前、そう言うしか無かったんじゃないかしら」

 ちょっとキツい言葉かな、と思いつつアヤさんを見遣るけど、特に応えていないようだ。本当、底なしに凄いなこの人……。

「――あ、あと、アヤさんのこと、変わっちゃったーって言ってましたよ。服装とか、雰囲気とか」

 私はつい先ほどの電話で高遠が零していたことを思い出し、それもそのまま告げた。

「本当!?」

 私は決して良い意味で伝えたつもりはなかった。寧ろ、皮肉ったつもりだったんだけど、

 アヤさんはぱあっと顔を明るくして喜んでいる―――何故。

「うふふ、嬉しいわ。私の努力の甲斐があったってことね」

 ……努力?

 一体、何の努力なんだか。別に、どうでもいいけど。

 彼女の一言一言にまともに反応してると疲れてしまう。適当に切り上げて、シャワーでも浴びてこよう。

「じゃあ、まあそういうことで――私もお風呂に入ってこようと思います」

 結局少しも口にすることがなかったグラスを手にとって、キッチンに運ぼうとした時、

「そうだわ、真琴さん」

 と、引き止められた。

「はい?何ですか?」

「さっきから気になってたんだけどね、貴女、普段から怜のこと『高遠』って呼んでるの?」

「え? ―――いえ、その……」

 思いがけない指摘に怯み、口篭ってしまった。呼んでません、とか、誤魔化してます、とは決まり悪くて答えられない。

「もしそうだとしたら、何ていうか、可愛くないと思うの。ちょっとよそよそしいでしょ? 怜もそう思ってるかもしれないし」

「……ご忠告、どうも」

 にこり、と嘘くさい笑みを浮かべながら、グラスを置いてバスルームへ向かった。

 ――可愛くないのは重々承知だ。平然と名前を呼べるのであればそうしている。

 でも出来ないのだ。どうしてと訊かれても上手く答えられないけど、抵抗があるんだから仕方ない。

 けど……。

 
『怜もそう思ってるかもしれないし』

 そう言われると、実は気にしてるのかな……? とか、考えてしまったりして。

 こっそり、隠すように仕舞いこんでいたコンプレックスを刺激されると、ピリピリ、心がささくれ立つ。

 指摘された相手がアヤさんだっていうのが尚更気に入らないのかもしれない。

 度が過ぎている部分はあるけど、自分の気持ちにストレートで、素直で、いつも笑顔を絶やさないアヤさん。

 ――私は、先ほどバスルームで見た彼女の身体のシルエットを思い出した。

 スタイル、すっごく良かったもんね。胸が大きいのに、ウエストはちゃんと締まってて、そこからヒップにかけてのラインがとても綺麗。

 お風呂上りのすっぴんだって、昼間とさほど変わらなかった。

 何よりも一番羨ましいのは、7年……いや、高遠にとってはそれ以上かもしれない。その長い期間、彼に想われた唯一の女性だということ。

 彼女は、私が『こうでありたい』と願うものを映した鏡のようで――その事実が、私の神経を過敏にしているのかもしれない。

 洗面台の三面鏡で、フルメイクの自分と向き合いながら、途轍もなく空しい気持ちになった。

 やっぱり、私は大人になりきれて居ない。彼女に少し言われた位で怒りっぽくなったり、心を苛まれるようじゃ全然ダメだ。

 こんなんじゃ本当に……高遠をアヤさんに取られてしまうかもしれない。

 中身は置いておいて、表面上の振る舞いならアヤさんの方が断然上だ。大人だ。高遠にも釣り合ってる気がするし……。

 ………。

 どんどん気持ちが落ちていきそうになるのを食い止めるように、私はクレンジングオイルを手に取り、一心不乱に塗りたくった。