Scene.4-1
昨日居酒屋で見た光景が、目に焼きついて離れなかった。
私の目の前で起こったアレは、果たして本当に現実での出来事なのか?
言葉にするのもおぞましい――高遠が、自らアヤさんにキスした、なんて。
あの後、程なくして高遠とアヤさんが揃って個室に戻ってきたけど、二人とも特に変わった様子はなかった。
高遠はアヤさんに対してうっとおしそうな視線を投げていたし、アヤさんは相変わらずの饒舌だった。
自宅に帰ってきて、彼女が何かそのことについて触れてくるかとも思ったけど、相当酔っ払っていたのか直ぐに寝てしまい、
挙句の果て、翌日になったら記憶を無くした……なんて言い出した。
結局、真相は聞けず仕舞いだ。
残る手段としては直接高遠に聞くしかないのだけど――こんなこと、私の方から積極的に聞いたりできない。
『どうしてアヤさんにキスなんてしたの?』
そう訊くことが私達の関係を破綻させるような、漠然とした不安があったからだ。
高遠のことを信じてないワケでは決して無い。
今までだって、一貫してアヤさんの無茶な申し出に対してスッパリと否定を返してきた彼だ。
だったら何故、あの時に限ってはアヤさんにキスなんて……。
こんな無限ループを幾度と無く繰り返している現状――金曜日の5,6時間目は私と高遠の共同授業『食品化学』だ。
アヤさんの希望通り、其処へ彼女が同席することが決まり、此処化学準備室でお昼休みがてら軽く打ち合わせを済ましたところ。
打ち合わせといっても、授業の組み立てや内容は春に私と高遠が決定しており一続きとなっているので、彼女は授業を聴講するような立場に近い。
質問が出た時や、高遠の講義での不足分を彼女が補うのだろう。
意外というか当たり前というか、彼女は授業の事となると別人のように真剣な目付きに変わる。
「細胞の倍数体化についてはもっとちゃんと、具体的に説明しておいた方がいいわ」
とか、
「酵母の機能性や能力について、特に高圧力耐性についてはとにかく表を見て理解させることね」
とか、恥ずかしながら私にはピンとこなかったんだけど、高遠も納得して彼女のアドバイスを聞いているようだった。
「真琴さんは来週以降の調理実習で本領発揮なのかしらね?」
後半の授業は私が受け持つ講義と調理実習だ。逆に言うと、そこ以外に私が貢献できるところが無い。
「は、はい……」
自分の授業のことなのに、最初の計画の段階から高遠に任せっきりにしていたのだから、そう言われても仕方ないか。
悪気なさそうなだけに、彼女の言葉が地味に痛い。
「今日は怜と真琴さんのセンセイっぷりを拝見させてもらうわね。檜山君と一緒に」
彼女はそう笑いながら、隣で少し緊張した面持ちの青年の肩を抱いて――無意識なのだろうけど――言った。
「は、はい、あの、よろしくお願いします!」
檜山君は、生物科の教育実習生らしい。言われてみればもうそんなシーズンだったな、と時間の流れの速さを感じる。
多くの高校が6月の受け入れであることに対し、此処、成陵では9月に行っているようだ。
「うふふ、そんなに緊張しなくたっていいのに。この授業は貴方も私と一緒に、後ろで聞いてればいいだけなんだから」
いつの間に打ち解けたのか、アヤさんはやけに彼に親しげな様子だ。
「ね?」とか、彼の耳元で吐息混じりに囁きかける様を見て、彼は授業に緊張しているのではなく、
アヤさんの挙動に胸を高鳴らせているのではないかと感じずにはいられない。
成陵に居た頃の彼は野球部に所属していたとかで、真面目というか硬派な感じが伝わってくる。
故に、アヤさんの振る舞いは彼を動揺させるようだ。
「しかし檜山君も変わってますね。いくら空きの時間だからといって、『食品化学』を聴講したいだなんて」
その空気に割って入るかのように――っていうのは、私の思い過ごしかもしれないけど――、高遠が訊ねた。
「いえ、酵母を取り扱ってるということだったので、興味があって……。
それに今、3年選択授業で高遠先生のコマが凄く人気だって聞いたので、実際に拝見したかったんです」
檜山君は年齢的にギリギリ高遠の授業を受けたことが無いようだ。けれども、学生や他の教師の話を聞いて高遠の講義に興味を持ったのだという。
「檜山君は教師を目指してるのね」
「はい、できたら……」
私が訊ねると、自信無さそうに黒い短髪を掻く檜山君の語調が弱まる。
教育実習を受けても教師にならない人間はたくさん居る。最近の場合は特に、ならないというよりなれない人間の方が多いからだ。
だからこそ彼は、講義の上手い人間の授業を実際に受けてみて、今後の参考にしたいのだろう。
個人的には運次第だとも思うけど、そんな言葉を志の高い学生に掛けるワケにはいかない。
「そうそう、怜は生徒に人気なのよねー? じゃあ今日は高遠先生から盗めるところいっぱい探すといいわ」
「……あまりプレッシャーを掛けないで下さい。言うほどじゃないと思われそうですから」
わざと畏まった呼び方をするアヤさんを高遠が窘めたけど、檜山君は、
「はい、宜しくお願いします!」
と気持ちのいい返事をした。今時の若者らしからぬ――他人の事言えたほど歳取ってないけど――反応で、なかなか可愛らしい。
動物に例えるなら、間違いなく犬だ。従順で、素直そうで。でも人懐っこそうなキラキラとした瞳は、思わず撫でてあげたくなってしまう。
「やぁだ、檜山君たら可愛いんだから〜」
おそらくアヤさんも同じ感想を持ったのだろう。彼女の方は、私が思い描いただけで止まったことを実行に移してしまうのだから流石だ。
まるで本当に、ペットにそうするような感覚で、ネイルの光る指で犬のような青年――もとい、檜山君の頭を撫でた。
「わっ――は、長谷川先生っ!?」
そりゃ、彼の声もひっくり返るだろう。しかも、相手がこんな美人で色気のある先生なら。
私は条件反射のように高遠の顔を見た。
――心なしか、二人に冷たい眼差しを向けているように感じる。
『それはヤキモチ?』
だなんて、思ってしまう自分が嫌だ。
彼の嫉妬深さは私も良く知っている。無自覚かもしれないけど、他人に執着しなさそうな癖にパートナーに対しては思いの他拘るのだ。
もしかして高遠はまだ、アヤさんのこと……。
再び負の無限ループに突入しようとしたところで、5時間目の予鈴が鳴った。
「―――それじゃ、そろそろ本番ですね。よろしくお願いします」
その音を合図に高遠が言い、私たちは化学室へ移動したのだった。
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「来週から千葉先生に交代するので、今日は一学期からのまとめをしたいと思います。
各自、ノートを取り損なった部分や疑問があれば随時挙手してくれて構いません」
24人の生徒を目の前に、教卓から白衣に着替えた高遠が呼びかける。
私達は化学室の後方の扉近くから、その姿を眺めているところだ。
「――なお、本日は化学科の長谷川先生と、教育実習でいらした生物科の檜山先生も同席されています。
お二人とも酵母に関しては僕よりも係わりが深いので、専門的な質問がある場合はこの機会に訊いてみて下さい」
「よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします!」
高遠の言葉に続いて、隣のアヤさんが……そして少し緊張した檜山君が生徒に向かって挨拶をする。
生徒達も口々に挨拶を返し、一区切りがついたところで講義が始まる。
「それでは今まで配布したプリントの一枚目を開けてください。『発酵食品』の欄に―――」
「はー……」
高遠がテキパキとまとめの講義を進めていく声音に被さって、アヤさんのため息が聞こえる。
「どうかしたんですか?」
私は授業の妨げにならないよう、控えめに訊ねた。
「ちょっとね、寂しいなぁと思って」
「寂しい?」
「ええ。寂しいのよ。怜ったら私のイメチェンに全然気付いてくれないんだから」
不貞腐れたように口を尖らせるアヤさん。なんだ、そんなことか……思わず脱力しそうになる。
イメチェンっていうか、
『ねぇ真琴さん、お願い! 真琴さんのスーツ貸してくれないかしら?』
って言うものだから、スーツ位まぁいいかと思って貸しただけなんだけど。
「何で急に、私の服を着たいなんて言い出したんです?」
アヤさんが理解不能なことを言い出すのは今に始まったことじゃない。
だから遭えて疑問を持たずに居たのだけど――高遠の名前が出たからには気にしないワケにはいかなかった。
「だぁって、怜はこういう地味目で清楚な方が好きなんでしょ? きっと」
彼女は私が貸した、その地味なベージュのスーツを改めて見回しながら言った。
悪かったですね、地味で。いや、コレ、地味――……かな?
確かに、色はベージュで肌なじみしすぎるかも知れないけど、上着はくるみボタン、スカートはマーメイドラインの清楚な雰囲気で、
寧ろ誉められることの方が多い。ブランドだって、同年代の女性なら一度は耳にしたことがある人気のモノだ。
「……まぁ、あんまり露出しすぎるよりはいいんじゃないですかね? 一応、教育現場なワケですし」
良かれと思って貸したお気に入りのスーツなのに……という思いから、思わず棘のある台詞を吐いてしまう。
「でもー、若いうちからあんまり堅い服ばっかり着てると、早く老けちゃいそうで怖いのよね」
「そうかもしれないですねー、脚とか胸元とか強調できるのは、若いうちだけでしょうし。私もあと2、3年なら、着てみようかなーなんて」
――嫌味だというのが伝わっただろうか。あまり年齢をネタにこういうこと言うのは気が引けるけど、
最近は焦燥感からかアヤさんにつっかかりたくなってしまう。
私の願いに反し、彼女は不快そうな素振りを見せるどころか、逆隣で真剣に授業に耳を傾ける檜山君に、
「ねぇ、檜山君もカノジョにするなら、やっぱり清楚で地味な子の方がいいのかしら?」
とか、彼にとっては何の脈絡も無いことを訊いたりしていた。この人ときたら、本当にもう……。
「は、はいっ? 長谷川先生、それってどういう……」
「だからぁ、カノジョにするんなら、私と真琴さん、どっち?」
「え、ええ!?」
「ちょ、何言い出すんですか、アヤさん!」
どうしてそういう質問に変わるのか。そんなこと訊かれたら檜山君も余計困ってしまうだろう。
大体、どっちの答えが返って来たって複雑だ。何だってそんな――……。
「……あの、先生方。もう少し静かにしてもらえませんか。ご存知かと思いますが、授業中なので」
と、大きすぎたらしい私達の話し声を諌めるように、高遠がストップを掛けた。
もしかしたら後ろの席の生徒達には内容も聞こえていたのかもしれない。高遠の制止に合わせて、クスクスと笑い声も聞こえた。
マ、マズい……。
「すっ、すみません!」
檜山君がすかさず謝ると、高遠は小さく嘆息して黒板に要点を書き足していく。
授業中だっていうのに、私は何をやってるんだか―――反省しなきゃ。そんな風に自分を咎めていると。
「はーい、高遠先生」
―――と、何とも暢気な声でアヤさんが挙手したのでギョッとした。
「……? 何ですか、長谷川先生」
高遠は不思議そうにアヤさんの様子を窺っている。
「今の黒板のまとめに関してなんですけど、私の持ってるデータと違うところがあるんです」
かくん、と首をかしげて、前方でチョークを握ったままの高遠に問いかける彼女。
私は――私だけじゃない、おそらく檜山君や生徒たちも――彼女と高遠を交互に見ながら、彼女の言葉を待った。
「まず、前提の説明を補うと、ミネラル酵母の定義っていうのは正確に言うと『培養工程でパン酵母に特定のミネラルを交含有させた後、
噴霧乾燥により粉末化して得られた乾燥死菌体』ってことなんですよ。それで細胞破砕機で細粒化したタイプの―――」
ペラペラと専門用語を駆使して説明を続ける彼女に、私は目を丸くした。
私と下らない言い争いをしながらも、彼女はちゃんと高遠の講義に耳を澄ませていたのだ。
彼女の専門分野だってことは勿論知っていたし、完璧に説明できたって可笑しいことはないんだけど……。
「含有量規格の表から見ても――……このFっていうのはさっき言った………」
この辺の講義はほぼ高遠に一任していたところなので、私は彼女の言わんとしているところがサッパリ分からない。
分かるのは、高遠の作ったプリントにミスがあるのだろうという部分だけだ。
「……つまりですね、高遠先生。足りないんですよ、プリントに挙げたミネラル酵母の製品名が」
「足りない?」
「ええ。数が足りないんです。分かりますか? 何が足りないのか」
最初はのんびりしていたアヤさんの口調が、やり取りが進むにつれて厳しいものに変わっていく。
「…………すみません、データベースから取ってきたものなので」
「亜鉛酵母、クロム酵母、銅酵母、マンガン酵母、ヨウ素酵母、セレン酵母、モリブデン酵母そして鉄酵母。最後の一つは?
貴方のプリントには8種類しか載ってません。現在は9種類あるんですよ」
敢えて正解を述べない論じ方は、高遠をわざと追い詰めているようにも聞こえた。
高遠はあまり酵母の分野に明るくないらしく、この辺りの知識は生物科の樋野先生から貰ったデータを付け焼刃的に覚えただけのようだ。
私が少しでも授業を進めやすいようにと『食品化学』の分野を選択して貰っただけに、何とも申し訳ない気持ちになる。
「基本中の基本ですよ。もう製品として出回ってるんですから、コレくらい教える側が知ってないと困ります」
いっそ威圧的とも取れる言葉を投げるアヤさんの横顔を覗いた。
私は、アヤさんの教師としての正義感が高遠を責め立てているのだと思っていた。だから、勉強不足な高遠に対して憤っているのだと。
でも―――彼女は寧ろ、ご機嫌だった。
まるで、困難なことを克服した後のような、勝ち誇ったような笑顔。
いつもニコニコと明るい太陽みたいなアヤさんのそれとは全くの別物で、初めて見る表情だった。
「……申し訳ないです。不勉強なもので」
アヤさんの視線に耐え切れないのだろう。彼女から目を逸らし、高遠が素直に謝ると、生徒達のちょっと吃驚したような反応が伝わってきた。
高遠の講義は隙がないのが特徴的だ。授業の始まりから終わりまでが、まるで質の良い演劇のような独特のリズムで進行する。
だからこそ多くの生徒が彼の授業を好み、3年選択授業では不動の人気を誇っている。
その高遠がこんな風に授業の不手際を認めることなんて、普段では絶対に無いことなのだ。
「それでは皆さん、プリントに書き加えてください。最後の一つはマグネシウム酵母です。サプリメント類をはじめとして――……」
声高にアヤさんが説明を始めると、生徒達は彼女の発言をプリントに書き加えていく。
「―――ありがとうございました、長谷川先生。助かりました」
「いいえ、どういたしまして」
高遠がアヤさんに軽く頭を下げると、彼女は大したことではないという風に首を振った。
「それでは、このミネラル酵母の特徴と性状についてですが―――」
気を取り直して高遠が授業の続きに入ったところで、瞳を輝かせた檜山君が
「長谷川の説明、凄く分かりやすかったですよ」
と、幾分興奮気味だった。
「あら、本当? ありがとう」
まんざらでも無さそうに微笑むアヤさんが、私にとっては益々謎めいた存在になっていた。
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「今日は災難だったね」
6時間目が終わった後、私は化学室の暗幕のようなカーテンを閉めながら高遠に言った。
「災難……? ああ、彩のことか。まあ、俺の勉強不足だったのは確かだからな」
アヤさんは、授業のあと直ぐ檜山君と一緒に出て行ってしまったから、話を聞かれて困る心配もない。
彼女はあの後も、何か気がつくと逐一ネチネチと彼の知識を試すような発言をしていて、私の方が頭にきてしまった。
そりゃ、授業としてやってる以上は正しいことを教えないといけないし、最低限のチェックは高遠もしているだろうけど、
所詮この授業は『受験用』じゃない。あくまで発展的なモノだから、説明だってサラっと流すような表面的なものになってしまっても仕方ないのだ。
「でもさ、何か感じ悪かったよね。彼女の言い方。あーあ、来週の講義は先が思いやられるなぁ」
高遠でさえあんな言い方をされるのだ。相手が恋敵の私だったらもっと猛攻されるかもしれない。
大体、授業内容やプリントの内容に問題があるなら打ち合わせのときに言えばよかったのに。
どうして授業中になって、今までおくびにも出さなかったことを口にしたのか。
お陰で、生徒も高遠に対して変な不信感を持ってしまったかもしれないのに。
アレじゃまるで、わざと高遠を追い詰めたかったみたいにも見える。いや、でもそんなことしたって彼女に利益なんてないし……。たまたま、なのかな。
うーん……アヤさんは、本当によくわからない人だ。
「調理実習なら真琴の専門分野なんだから。大丈夫だろう―――俺はレポートを整理してから鍵閉めるから、先に職員室に戻ってていいよ」
「本当? じゃあ、戻ってるね」
「ああ」
教卓でテキストを纏めている高遠を残して、私は化学室を出た。
コの字型の校舎の端から端を移動するように、長い廊下を歩いていると、ふと耳慣れた声が聞こえた気がして、足を止める。
……空耳?
いや――でも、私が彼女の声を訊き間違える筈がない。
「……ふふっ――……やだぁ、もう………じゃない……」
間違いない。この艶っぽい声音はアヤさんのものだ。
その声の聞こえる方へと引き寄せられるように進んでいくと、角にある多目的室に辿りつく。
此処は週に何度かスクールカウンセラーが待機していて、いつでも生徒を受け入れられるように常に解放されている。
何故こんなところに……? 興味も手伝って、薄く開いていた扉から中を覗き込んだ。
「じゃあ、檜山君も海外留学してみたいって思ってたのね?」
「は、はい。でも、うちは金銭的余裕も無いですし、教師になるならその必要もないかなって……」
「あらぁ、必要ないってことは無いわよ。私もアメリカの院出て、学歴としても経験としてもプラスになったって思ってるわ」
パイプ椅子と木製の簡素なテーブルがいくつか並んでいるその部屋の一角で、
隣り合わせに腰掛けた二人がそんな会話をしている。なるほど、進路相談か。
「特に学歴は――ちょっと自信が無かったっていうか、不安があった部分だから。チャレンジしてみてよかったと思ってるの」
前途ある教育実習生に親身なアドバイスをしているとは、意外に面倒見いいところもあるんだと見直した。
「そ、そうなんですか……でも、長谷川先生の大学って一流じゃないですか。自信が無い、なんて、意外だな」
「うふふ、大学名にコンプレックスがあったワケじゃないわ。まぁ、色々と―――ね。それより」
「!! は、はい!」
急に檜山君の声が跳ね上がったので、私も何事かと室内の動きに集中した。
「さっき、私が訊いたこと――答えてくれないかなぁ?」
「え……え? さっき訊いたことって……」
「だぁから、授業中に訊いたこと―――私と真琴さん、どっちが好みかしら?」
アヤさんは急に甘えた風な口調で、隣に座る檜山君の肩にしな垂れ掛かった。
突然のモードチェンジに檜山君も慌てた様子を隠せず、顔を真っ赤にして困惑している。
ア……アヤさんたら、一体、彼をどうしようと言うんだろう。
「そ……そんな……あの、お二人とも、び、美人で、綺麗で――」
「そういう回答はダメ。ちゃんと選んでくれなきゃ……私か、真琴さんか」
「ダメ」と、人差し指を彼の唇に当てて、上目遣いに彼を見るアヤさん。
ちょっと!教育実習生相手に、何やってるのよ?
声にならない突っ込みを入れながら、心の動揺を抑えきれない檜山君が、
「そ……そう言われても……お、お二人とも素敵……ですよ。な、並んでると姉妹みたいっていうか――」
「姉妹? 私と、真琴さんが?」
「は、はい。美人姉妹みたいで……あの、お綺麗です」
「似てるかしら? 私と真琴さん」
彼女は不本意そうだけど、そんなの、私だって同じだ。少なくとも彼女より数段、慎み深い自信はある。
……でも何だろう。腹立たしさとは別に、そのフレーズが心の奥底にある何かを揺さぶった気がして、妙に落ち着かない。ソワソワする。
この気持ちの不安定さはどういうことなのか―――その『何か』を思い出しそうになった時、
「まぁいいわ。どちらにしろ、誉めてくれてるってことよね、私のこと。有難う、檜山君」
彼女は彼の耳元でゆっくりとそう囁いて、そして――――うろたえて無防備な彼の唇に、ポン、とスタンプを押すような軽い感覚でキスをした。
「!?」
思わず悲鳴を上げそうになったところを、両手で口元を塞いで堪える。……マズい、中に聞こえちゃったかな?
……………。
……え? 両手??
反射的に利き手である右手が動いてしまっただけで、左手は身体の横に付けたままだ。
じゃあ、私の右手に重なるもう一本の手は―――。
私は恐る恐る背後から伸びる手を視線で辿って、其処に立つ影を振り返った。
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