Scene.1-2
「ごめん芽衣、ちょっとそこのお皿取って貰っていい?」
「あ、うん」
あれから直ぐに買い物を済ませて、高遠のマンションにやってきた私達は、丁度夕食の支度をしているところだった。
芽衣は高遠家に入るのは初めてだったらしく、妙に緊張した様子だけど、椎名君や高遠の生活環境を見て興味津々、という感じ。
椎名君は芽衣を家に呼んだりはしないのか……まぁ、しないか。もしかして、高遠にバレたら面倒くさかったりするのかな。
私はちゃっかり合鍵作って、食事を作りに来たりして――椎名君も合せて3人で夕食を取ることもある位なんだけど。
それはそれで、椎名君にとっては私って図々しい存在? なんて。
「わぁ、美味しそうー。流石、真琴ちゃん」
「まぁ、仕事の一部だしね。これくらいはできないと」
今日の献立は、ポテトサラダにほうれん草とベーコンのココット、メインは鶏肉のトマト煮。
主食はパンかなーと思ってバケットを買ってきた。時間が掛からなかった割にはなかなかの出来だ。
私は仕事柄もあって結構料理が好きなので、折角の特技を高遠家で揮いたいと思うんだけど、
男2人の家だからか調理器具や調理家電が少なく、作れるものが限られてしまう。
そういう悔しい思いを少しずつ無くす為に、先日ついに自腹で圧力鍋を買ってしまった。
そこまでしなくてもと思うけど、高遠のヤツ、意外と食べ物に無頓着で、放って置くと3食食べてないことが殆どなので、
ついつい世話を焼きたくなってしまうのだ――おそらく椎名君の方も食事は適当なんだろう。
あの兄弟、今までどんな食生活を送ってきたんだろうか。気になる。
「これが例の圧力鍋だっけ?」
芽衣が思い出したように訊ねる。その辺のエピソードも親友である彼女には報告済み。
「そそ。1つあるとすっごく便利なんだからー。芽衣も、今度使ってみてよ」
此処に置いておくから、と軽い気持ちで言ってみたものの、微妙に芽衣の表情が沈んだ――ああ、いけない。
芽衣が高遠家に今後も出入り出来るかどうか――つまりは椎名君のキモチを確かめるために、今日はわざわざ来たっていうのに……。
私ってば本当に気が回らない。反省。
「……あー、そうだ。そろそろ高遠も帰ってくるはずだから、もうセッティングしちゃおうか。
「うん……そうだね」
微妙な空気の中、ダイニングテーブルのセットを始めようとしたその時、インターホンが鳴った。
きっと高遠だ。私は、助かったとばかりに入り口へと駆けて、扉を開けた。
予想通り、其処にはスーツ姿にノンフレームの眼鏡を掛けた男が立っていた。
……朝見た時よりも、若干やつれたような顔をしていたけれど。おそらく、DVDに付き合わせた所為だろう。
「ただいま」
「おかえり。勝手にキッチン借りたよ」
男は頷きながら靴を脱いで軽く揃えると、まっすぐダイニングへと歩いていく。私もその後を追った。
「――あ、高遠先生、すみません、お邪魔しちゃって」
「こんばんは、月島先生。いえ、何も無い家ですけどゆっくりしていって下さいね……そうだ、真琴」
ダイニングの扉を開けた高遠は、芽衣にそう笑いかけた後、私を呼んだ。
「何?」
「ネコは?」
「ああ、すぐ食事にするつもりだったから、……部屋にいるよ」
部屋、と言う時に高遠を指して伝えると、彼は「了解」と頷き、持っていた通勤用のバッグと、ワインと思われる細長い包みとを傍らに置いた。
「ネコ?」
芽衣が不思議そうな顔をして訊ねる。ああ。まだ芽衣には会わせてないんだった。
「此処で飼ってる『ネコ』のこと……ほら、前に話したじゃない?」
「名前が『ネコ』ちゃんっていう?」
「そう」
「いいなあ、私触ってみたい」
芽衣が羨ましそうな声音で言う。女子というのは動物と子供が好きなもので、芽衣もその例に漏れないようだ。
「あとで触ってみるといいよ。とりあえずは、帰ってきたことだし食べちゃおっか」
高遠と芽衣がそれぞれ頷くと、私は支度のスピードを速めた。
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ダイニングテーブルは椅子が4つ、私と高遠が隣に座り、私の向かい側に芽衣が座った。
意外なことに、高遠家にはリビングというものが存在しておらず、リビングをダイニングスペースが兼ねている。
マンションだとどちらも、というワケにはいかないにしても、それなら同居人同士が集まれるようにリビングにしてしまうのが普通な気がするけど、
そもそも、その同居人同士があまり集まりたがらないのであれば構わないのだろう。
だから、15インチの薄いテレビが近くの棚に置いてあることはあるのだけど、普通の家庭のような憩いの空間の役割は担っておらず、
寧ろラジオ的な扱いだ。BGMを作る機械、みたいな。
そのテレビが報道番組を流している中、私は芽衣と椎名君との事を高遠に説明しつつ、食事を始めていた。
「隼人が……他に気になる相手が出来たんじゃないかって?」
「そうみたいなの。ね、芽衣」
「はい……最近、学校内での生活態度は良くなってきたと思ってたんですが、あまりお家に帰ってないって聞いてます」
私は先ほど高遠に買ってきてもらったワインをそれぞれのグラスに注ぎながら、高遠を見た。
「……お恥ずかしい話なのですが、もともと金曜や土曜なんかは一晩帰ってこないことも多かったんですよね」
オールか。若い証拠だな、とか老けたことを考えつつ、いや、ちょっと待って。
「あのねえ、前から言おうと思ってたんだけど、貴方、お兄さんなんだからさ……こう、注意とかしないの?」
「もう高校生だし、やることさえやってれば俺は特に干渉しない。あくまで、やることやってればだけど。
だから、化学の成績が8以下になったら問答無用で追い出すつもりだよ」
私が口を挟むと、高遠は悪びれずにしれっと言う。
そうか、そういえば高遠は椎名君にそんな条件を出してたな。
「……最近は、もっと外にいると思います。週5、とかそれくらい」
「そうなの?」
高遠は、ココットをつつきながら首を傾げた。
「さぁ……でもそう言われてみたら、最近あまり顔を見てないような気も……」
……ホント、お互い無関心なんだから。この兄弟は。
「やっぱりそうですか……」
「ま、まあほらっ、だから折角だし、今日、本人に直接聞いてみたらいいじゃない?忙しいのー?とかって、さ」
芽衣の顔があからさまに落ち込むのを見て、私は慌ててそう口にしてみる。けど。
「今日も、帰ってくるかどうかは解らないですけどね」
などと、高遠が要らないことを付け加えた。この男、空気読めってば!
「…っ痛」
「?」
急に痛がるそぶりを見せる高遠に、芽衣が首を傾げた。無論、私がテーブルの下で高遠を蹴ったからだ。
何するんだとばかりに彼は私の目を見たけど、睨み返してやると意図を把握したらしく、一度咳払いをして、
「――わかりました、いっそ呼んでやりましょう。その手がありました」
などと言い出し、テーブルの上に置いたままだった携帯に手を伸ばす。それでこそ役に立つってものだ。
「え、でも、椎名君も何か予定があるんじゃ……」
「いいんですよ。たまには早く帰ってこさせないと、親にも示しがつきませんしね」
気が引ける芽衣に笑顔を向けながら高遠は首を横に振る。
淡いブルーの、ストラップ等が1つもついていないシンプルなそれを開いて、操作をすると通話を始めた。
「俺だ。……今、何処にいる?」
繋がったと知ると、私と芽衣は自然と身を乗り出して耳を傾けた。
高遠の携帯から、ノイズに混じって、男性の低音が聞こえてくる――流石に、何を言ってるのかまでは聞き取れないけど。
「……そうか。いや、最近家に寄り付かないなと思って。……ああ、わかった」
手短に会話を終えて、高遠が携帯を閉じる。
「もう直ぐ帰ってくるみたいですよ。学校で、課題を済ませていたようです」
「よかったじゃない、帰って来るって、芽衣」
「うん……」
浮かない顔だった芽衣は、少しだけ余裕を取り戻した感じがした。
「じゃあほら、食べて食べて。折角作ったんだから、冷めないうちに、ね?」
食事に殆ど手をつけていない様子を見て、私がそう勧めると、彼女が「そうだね」と頷きながらチキンを口にする。
これで椎名君が帰ってきて、芽衣を安心させてくれさえすれば万事解決ってことになるのだ。
もう楽観視してよさそうな雰囲気に、私もホッと胸を撫で下ろしたところで、ガチャガチャと玄関の扉を開ける音がした。
「あ、私出てくるね」
鍵を掛けてしまっていたことを思い出し、私はさっき高遠が帰ってきたときと同じように扉まで駆け足すると、そのロックを外した。
「―――っと、真琴センセ……」
てっきり高遠が出てくると思っていたらしい椎名君は、少々驚いた様子で私を見下ろす。
茶色く染めた髪に、ナチュラルなウルフカット。着崩した制服、緩慢な立ち仕草。そして悪戯っぽい瞳。
どれを取っても、高遠のイメージとは程遠いのだけど、割と顔が整ってるっていうのはやっぱり兄弟である証なのかとしみじみ思う。
「なァに、また通い妻してるワケ?お疲れサマー」
私が観察していると、彼はローファーを脱いで、揃えることもせずにすぐ傍の自分の部屋へ直行しようとする。
「ちょっと待って、話があるの」
そんな彼の腕を掴んで引き止めると、彼は「あァ?」と機嫌悪そうな声を出す。
「話って何、なら今話してよ」
「そういうんじゃなくって、ちょっとこっち来てよ。椎名君のこと心配してる人がいるんだから」
至極面倒そうな口調の椎名君を無理やりダイニングまで引っ張ってくると、
「芽衣センセ……?」
「あ……お、お邪魔してます……」
まさか芽衣まで居るとは思っていなかったのか、今度は明らかに吃驚した様な表情で、椅子に座る彼女を凝視する。
「隼人、ちょっとそこに座れ」
高遠が芽衣の隣を示すと、椎名君は眉を顰める。
「お前が最近家に帰ってないから、月島先生が心配してわざわざ家に来てくれたんだ。……最近何処フラフラしてるんだ?」
「………」
いきなり詰問調だったことが気に障ったのか、それとも高遠に何か言われること自体が煩わしいのかは謎だけど、
椎名君は高遠の顔を見ることも無く、また示された席に座ることも無く床を見つめていた。
「答えられないことをしてるワケじゃないんだろう?」
「………」
高遠が投げた質問にまともに返すことなく、椎名君は不機嫌さを隠さず黙ったままだ。
何この空気……。
ちょっと不穏な流れになってきたことを意識して、私は努めて明るく振舞うことにした。
「あ……ね、ねえ、そうだ、夕ご飯!椎名君の分も作ってあるんだけど――お腹空いてない?」
「……済ませてきたから」
椎名君は短くそう言うと、再び黙り込む。……そうですか、それならしょうがないですよね!
これ以上この会話での展開は無理だと気付くと、あとは高遠に任せることにする。
「別にお前に説教するつもりはないが、高校生なんだから、自分の身分を弁えた生活をするようにな」
「それ、説教じゃンか。別にオレが何してようとカンケーないだろ」
「隼人」
イライラしているのか、ハ、と小さく息を吐きながら悪態をつく。
そんな椎名君を宥めるように高遠が声を掛けるけど逆効果のようで、
「今まで何も言わなかった癖に、何、急にウルサイこと言い出すワケ?成績なら適当なトコキープしてるっしょ?」
確かに普段、別段椎名君を構うでもない高遠がそんなことを言い出すのはおかしいのかもしれない。
でも、仮にも兄なんだから心配したっていいはずなんだけど……。
「……椎名君、どうしてお家に帰らないの……?」
ここで、今まで様子を見守っていた芽衣が、か細い声音で会話に加わる。
芽衣に言われると、流石の椎名君も困ったように頭を掻いた。
「ねえ、答えて?……遅くまで、何をしてるの?」
「………」
まただ。また椎名君は黙ってしまう。
高遠の言うとおり、答えられないようなことでもしてるんだろうかと疑ってしまう。
「……私、最近放課後になると、教室から逃げるみたいに帰っていく椎名君のこととか、知ってるんだよ?」
「………」
「それに……その時、いつも一緒に帰ってる女の子がいるってことも……」
それが、例のクラスメイトの女子のことか。なるほど……。
「………」
「ねえ、椎名君。芽衣がね、すごく心配してるの。最近どうしたのかなって……だから、安心させてあげてよ?ね?」
あくまで、放課後何をしているのか口を割らない椎名君。堪らず、つい口を挟んでしまう。
「……別に心配されるようなことはしてないンですけど。ソレでいーじゃん」
高遠、私、そして芽衣に詮索されることに疲れたらしい椎名君が、ついに踵を返してダイニングから出て行ってしまう。
「ちょっと、椎名君!待って!」
「いいの、真琴ちゃん」
追いかけようとする私を芽衣が制する。
「だって、芽衣、折角椎名君が帰ってきたのに……」
「ううん、本人が言いたくないならしょうがないよ。ごめんね、真琴ちゃん。……高遠先生も、ごめんなさい」
芽衣は、私達の前では気丈に笑って見せるけど、今のやり取りで余計に不安になってしまったのは明白だ。
「――椎名君にも迷惑がられちゃってるかもしれないし……申し訳ないけど、私、帰るね。ご馳走様でした」
「め、芽衣!」
彼女の動揺が手に取るように伝わってくる。だからこそ、ちゃんと落ち着けてから帰したかったのだけど、
芽衣は私が止めるのも聞かず、バッグを手に取ると玄関まで駆けていき、すぐに扉の音が聞こえた。出て行ってしまったのだろう。
あっという間に取り残された私と高遠は、ただ困惑気味にお互い見詰め合っていた。
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