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Scene.1-３

「あーもー……椎名君ってば、ホント何してるのかなー」

　高遠のベッドの上でじたばたしながら、つい数時間前のやりとりを思い返していた。

「さあ。俺も、アイツが何を考えているのかはわからない」

「自分の弟のことでしょー？芽衣が可哀想だと思わないの」

　端に座っていた高遠があまりにもクールなことを言い放つものだから、つい口を尖らせてしまう。

「勿論、そう思うし何より申し訳ないとは思うよ。まさか、月島先生も隼人に気があるなんて、思ってなかったしな」

「……まあ、そうだよね」

　私も、あんなに芽衣が椎名君を気にしてるなんて思わなかったよ。きっと、今頃すごく落ち込んでるんだろうな……。

　フォローのメールは入れたけど、返事がないところを見ると相当凹んでいるに違いない。

「それにしても妙ではあるんだよな」

「妙って？」

「あんなに頑なな隼人も珍しいと思って。例えばバイトをしてるとか、そういうのも隠したりするタイプじゃないし」

　一応、成陵ではバイトは完全禁止ではないものの、限りなく非推奨ということになっている。受験生であればなおさらだ。

「んー、言えないようなバイト、してるとか」

「言えない様なって何」

　高遠が、風俗とか？なんて鼻で笑う。何よ、その反応。

「風俗っていうか、ホストクラブとかならあり得るかもよ。それなら、芽衣に言えない気持ちはわかる」

「あんな無愛想なヤツがサービス業なんて向いてるワケないだろう」

「そんなのわかんないよ。意外と、仕事なら割り切れるかもしれないじゃない？」

　私も本気でそう思ってるんじゃないけど、あまり弟を心配してるそぶりを見せない高遠に少しムカついて、そう返してみる。

「うーん……まあ、可能性はゼロじゃないにしても、そもそも金に困ってるなんて聞いたこと無いな。

親から十分仕送りは来てる筈だし、纏まった休みに短期のバイトして、欲しいものは手に入れてるみたいなこと言ってたから」

「なるほどね……」

　じゃ、バイトのセンは薄いか……。

　そう考えると、クラスメイトの女子の話もあることだし、心変わり……？ってことになっちゃうんだけど。

　ううん……。わからない。

「ダメ、もう降参」

　私は考えることを放棄して、仰向けになった。

　ベッドを占領するように大の字を描く。肩甲骨のあたりの筋肉が伸びて、気持ちいい。

　ついでに、温泉に浸かった時にうっかり発してしまうような「うーん」なんて声まで出た。

「……他人の家でそこまで寛げるのも凄いな」

　オウチモード全開でリラックスしすぎな私を横目に、高遠がやれやれと肩を竦めた。

「別に他人の家だなんて思ってないもーん。ほぼ自分の家だし」

　1人暮らしの寂しさからか、暇さえあれば高遠の家に来ることが多い。

　本当は、私の家に高遠を呼べばいいのだろうけど、ネコ君がいる手前それは難しいのだ。

　一々持ってくるのも面倒だから、高遠の部屋に色々と私物を持ち込んでいて、スッキリした印象だった彼の部屋は、今や雑然としている。

　最初のうちは少しでも元通りにしようと頑張っていた彼だけど、その内に片付けても片付けても増えることに気付いたらしく、抵抗を止めたらしい。

　賢い選択だと思う――とか、偉そうに言うことじゃないよね。ごめんなさい。

　今身に着けているワインレッドのパジャマも、私が勝手に持ち込んだもの。

　高遠が着ている、同じデザインの黒いパジャマも私がペアで買ってきたもので、無理やり着せている。

　一度やってみたかったんだよね、パジャマのお揃い。

「たまには、自宅をゆっくり掃除した方がいいんじゃないか」

「とか言って、私が居ないと寂しがる癖に」

「………」

　高遠が黙るのは、都合が悪いことを言われたときだ。

　ほーら、やっぱ寂しいんだ。と確信する。

　高遠の部屋に来たいのは事実だけど、いつも呼ぶのは高遠本人だっていうのを自覚してないのかも。

　意外に可愛いところもあるんだよね、この男。

「ねえねえ、それよりＤＶＤの続き見ようよ」

「……流石に今日は眠りたいんだけど」

「だって、続きが気になるもん」

　買い物のついでに借りてきた続きのＤＶＤを見ようと提案したけど、アッサリ断られてしまい、不満げに振舞ってみる。

「俺は真琴ほど丈夫じゃないんだから」

　高遠は、苦笑しつつも立ち上がり、デスクの上のノートパソコンを閉じて、『ＤＶＤは見ない』というアピールをした。

　この部屋はテレビが無く、ＤＶＤはいつも彼のパソコンを使って観ることにしている。

　ベッドの上とかに置いてまったり観れるから、ある意味、固定してあるテレビよりも快適かもしれない。

「えー？もう寝るの？つまんない」

「今日寝不足だったの、もう忘れたのか？」

　私は夜になるとテンションが上がって疲れを昇華してしまうタイプなので、時間を有効に使いたい！と思っちゃうんだけど、

　高遠は普通に疲れが蓄積されるのか、その感覚が解らないらしい。げんなり、という様子が見て取れた。

「だって、折角一緒にいても、ただ寝るだけじゃ――」

「だったら」

　と、寝転ぶ私に覆い被さるように、高遠が両手で私の手首を掴んだ。

　いつの間に？何て思ってるうちに、首元にキスをされて……。

「ん―――」

「一緒に居ないとできないこと、しようか？」

　耳元に、悪戯っぽくも甘い囁きを落とされる。

「……寝不足だって言ってた癖に」

「やっぱり寝るのは止めた」

　そう言うと、私のパジャマのボタンに手を掛けた。

　・
　・
　・

「ん……はぁっ、――んんっ」

「あんまり声を出すと、隼人に聞こえる」

「わ――わかって……ん、ふあ、っ！」

　生まれたままの姿になった私と彼が、ベッドの上で肌を重ね合っている。

「解ってるならもう少し音量下げて欲しいんだけど」

「うう……だ、だって……んっ……」

　……解っているけど、抑えられないから困ってるって言うのに。

　私の体の中心を不規則なリズムで掻き混ぜながら、苦笑交じりに高遠に言われて、羞恥に頬が熱くなるのが解る。

　そう思うなら高遠の方で調節してよ、もう！

　しなやかな彼の指が秘所を通過していく度に零れる嬌声は抑えられない。

　いきなりそんなに激しくされたら、どうしようもないじゃない。

「今更だけどな。どうせこれまでだって聞こえてるだろうし」

　だからって開き直れるワケないでしょうが！

　……自慢じゃないけど声は通る方だ。否定は出来ない。

　こう、恋人との行為を第三者に聞かれるというのは途轍もなく恥ずかしいことで――意図しなくても頭まで熱くなってくる。

「いっそ、ちゃんと聞かせてやった方が親切、か？」

「ん―――ぁ、ゃああっ……」

　二本の指を根元まで差し込むと、鉤型に曲げて内壁を擦り上げ、また伸ばして……を繰り返す。

　敏感な粘膜を刺激される事も勿論だけど、くちゅくちゅ、と湿り気を含んだ音が、

　私の身体から発されていると思うと余計恥ずかしくて肌が火照ってしまう。

　恥ずかしいのに―――更なる快楽が与えられる予感にゾクゾクした。

　全く、この男ときたら、身内である弟にバレそうになろうが構わないなんて。

　『貴女の嫌がることが、俺は好きなんですよ』

　以前、彼が口にしていた言葉を思い出した。そうだった、この男は筋金入りの……。

「へ、変態っ……ぁ、あぅッ……」

　絞り出すような声で軽口を叩くと、高遠がクスッと可笑しそうに笑う。

「……な、何……？」

「真琴だって、こういう方が興奮するんだろう？」

「え……？　な、どぉいうっ……！」

「隼人の名前を出した辺りから、凄く濡れてきたから」

「あっ……！」

　そう言って高遠が指を引き抜くと、下肢に喪失感のような物足りなさが残った。

　これからもっと大きな快楽の波が押し寄せる筈だったのに――無意識に大腿を摺り寄せてしまう。

　面白がるような笑みを交えて高遠がまた口を開く。

「他人のこと言う割りには、真琴も充分変態だよ」

「わ、私は別に……」

「職員室で……とか、本当は嫌いじゃないだろう？スリルがあった方が興奮できるなんて、やっぱり変態じゃないか」

「………」

　職員室で興奮した覚えなんて――そう言い返す途中で口を噤んだ。

　以前あの場所で辱めを受けたとき、ハラハラして落ち着かなかったけど、100％否定しきれないことにこの男は気づいている。

　達してしまったということは、つまり……、だ。

　……高遠のヤツ、どうでもいいこと覚えてるんだから。

余裕ぶった笑いを浮かべている姿に腹が立つような気がしないでもないけど、何を言い返しても分が悪い。

「否定しないってことは認めたんだ？」

「なっ……」

　わざわざ、私に確認してくるところが性格悪い。肯定したって否定したってまたからかう癖に。

「そういえば一番最初だって、無理やりだったのに、結構楽しんでたしな？」

「……そんなことない」

　高遠の言葉に、私は意図的に不快だという表情を作った。

　一番最初っていうのは、車の中でレイプされかけたときの、私が高遠に脅されるきっかけになった出来事だ。

　――確かに反応してしまったかもしれないけど、あの時は本当に怖かった。

　殺されるかもしれないと思ったのは生まれて初めてだったし、人によってはトラウマになったっておかしくないだろう。
　
　それなのに、そんな風に言うなんて。
　
「……ごめん、怒った？」

　私の顔を見て、からかい過ぎたことに気付いた高遠はほんの少し眉を下げて窺ってくる。

「少し」

　ツンとした声音で言うと、高遠が小さく息を吐いて、私の顎を軽く持ち上げる。

　高遠の前髪が少し額に触れ、そして、そのままキスをした。

「ん―――」

「………」

　最初は唇を重ねるだけの優しいものだったけれど、徐々に高遠の舌が私の口腔に入ってくる。

　時に優しく、時に深く舌先を絡めながら、その甘美な刺激に私の頭は思考に靄がかかったようにぼうっとしてくる。

　高遠はキスが上手いというのを、付き合ってから知った。何故なら、それまで彼とキスを交わした事がなかったからだ。

　正確に言うと、私に好きって打ち明けてくれた時かな。

　散々私に色んな辱めをしてきたのに、何故キスだけは避けてきたのか。未だに謎だったりする。

　でもまあ……キスをするって、恋人同士の第一関門みたいなものだから、個人的には気持ちが通じ合ってからでも悪くないかな、と思うけど。

「っ……はぁ……」

　キスがこんなに気持ちいいっていうの、知らなかった――ってくらい、頭の奥の方が痺れるような、心地よい感覚。

　その感覚に身を任せていると、ふと、高遠の唇が遠ざかる。

「や……ん」

　離れてしまうそれに追いすがるように、小さく声を上げた。

「何？」

　鼻先が触れそうな近い距離で、高遠の瞳が私のそれを覗き込む。

　確信犯だ。私がもっと続けて欲しいのを知っていて訊いている。

「……解ってるくせに」

「何のことだか？」

　とぼけた振りをしながら、彼は子供にするような所作で私の腰を持ち上げて、上体を起こした。

　ベッドの上に座り込むような形で、私は高遠を見上げる。

「いつも素直じゃないんだから、ねだってくれでもしたら可愛いのに」

「素直じゃなくて結構ですよーだ」

「拗ねなくたって」

　笑いながら私の頬を撫でた彼の手が、胸の膨らみまで下りていく。

「ん―――」

　そのまま両手で優しく撫でられて、包まれて、捏ねられる。あくまでやんわりとした、柔らかい所作で。

　最初のうちはその穏やかな刺激が心地よかったのだけど……段々と、じれったさを感じるようになってしまう。

　けれど、高遠はそれ以上の刺激を送ってこようとはしない。

　ひたすらに、二つの膨らみや腰のライン、腹部なんかを羽根で撫でるような動作でゆっくりと擦るだけだ。

「ふ、ぁ……はぁ……」

　堪らず、私は高遠の片手を取って、胸の頂に導いた――勿論、より強い刺激を求めたからだったのだけど、

　高遠はアッサリとその手を振り払い、首を小さく振った。

「な、に……？」

　その動作の意味が解らず、私が訊ねると、

「して欲しいことがあるなら、ちゃんと言わないと。そうだろう？」

　と、いつも学校で他の教師に向けるような、爽やかな笑顔で続けた。

「今日は真琴がねだってくれるまで――少し焦らしてみようかと思って」

「そんなっ……」

　そう言う間も、くすぐったいくらいの緩やかな触れ方をしながら、私を少しずつ追い詰めていく。

　確かに、私はこういう場面で自分から「こんな風にしてほしい」とか、「もっとして欲しい」というのが苦手なんだけど、

　いつも高遠がイニシアチブを取ってくれるお陰で、あまり気にしたことがなかった。

　でもきっと――この男はとっくに感付いていたんだろう。

　おそらくは、そういう意味を含めての「素直じゃない」っていう発言だったんだ。

「う、ん……卑怯、よっ……そんな、今日に限って……」

「今日だけが不満なら、これからはいつもそうしようか？」

「そういう意味じゃ……っ、んぁ……」

　触れるだけでは逆に弱すぎて効果が無いと思ったのか、今度は首筋に、鎖骨に、お臍に――キスの雨を降らせながら、

　時には吸い上げて痕を残してみたり、時には舌を使って舐めあげてみたりしながら、私の反応を窺っている。

「はぁ……っ、はぁ……」

　その中途半端な愛撫がもどかしかった。

　例えば乳房を吸い上げるようなことはあっても、感じやすい中心にはノータッチで目もくれない。

　大腿の付け根を撫でることはあっても、その更に上にあるだろう敏感な入り口はスルー。

　弱いところを把握してる高遠は悪戯に私の快感を煽るだけで、期待感だけが身体に残る。

「見えるところ、だけはっ……キスマーク、ん、はぁ･…残さないでよ……」

　以前、授業中にイタズラされた時にうっかり残されたことがあって、後で、ファンデーションで慌てて隠したりしたっけ。

　軽口を叩けたのは最初のうちだけで、次第にじわじわと染みる様な欲求から早く開放されたい、

　楽になりたい、という気持ちが抑えられなくなってくる。

「大丈夫、その辺はきちんと考えてる――それより、気を逸らさないで。集中して……俺に」

　そろそろいいか、とばかりに、私の耳朶に舌を這わせ、甘噛みする彼。

「んっ！ぁあんっ」

　びくびくっ、と身体が震えるのを止められない。刺激がそのまま、ダイレクトに脳の奥へと送られるのが解る。

　温かく柔らかい舌の感触が、余計官能を煽り、ついつい喘ぎが大きくなっていく。

「だから、隼人に聞こえるって……いいのか？」

「や、だめぇ――ぁ、ああっ……！」

「声、全然抑えられてないけど」

　最早苦笑、といった様子だけれど、熱気によって私の額にはり付いた茶髪を掻き分ける。

「素直に言ってごらん。これ以上が欲しいなら……俺の名前を呼びながら、な」

　そして、また――私の弱点を突いて来る。

　私は普段、気恥ずかしさから、彼の名前を呼ぶことが出来ない。

　そういう場面があっても、「貴方」とか「ねぇ」とか「ちょっと」とかって誤魔化してしまう。

　高遠が私を名前で呼ぶ分には何も問題はなく、受け入れられるのに、

　付き合った男性の名前を恥ずかしくて呼べないなんて、なんだかなぁと思うけど――出来ないものは出来ないのだ。

　高遠はそれを気にしていないみたいだし、ならいいかな、って流してしまっているけど、

　こういうシーンに思い出したかの如く口にするのは何ともイヤラシいというか、ずるいというか……。

「んんっ、はぁん……！」

　早く、と急かすように耳朶に軽く歯を立てられ、身体を震わせる。

「此処、何もしてないのに……こんなになって」

　胸の飾りが上を向いている様子を指摘されながら、指先で弾かれる。

　わざと避けられ、触れられもしなかった其処は、存在を主張するように膨れていた。

　恥ずかしい――私は反射的に目を伏せた。

「真琴、こっちを見て」

「んっ、ふ―――」

　高遠に促されるまま、俯きがちだった顔を上げると、高遠の唇が私のそれに再び重なる。

　息継ぎの暇の無いほどのキス――まるで、奪われるような激しいキスだった。

　さっきよりも少し乱暴だけど、その分彼に征服されたようで、どんどん鼓動が早くなる。

　その余韻を味わっていると、彼は少しずれた眼鏡のフレームに手を添えた。その奥の瞳がサディスティックに光る。

　その目が、付き合う前の主従関係を思い起こさせて――私の身体の奥底から、どろりと熱いものが溢れてしまいそうだった。

　だめ、もう、我慢できない……。

「お、ねがいっ……欲しいの……」

「何が？」

　そんなの、当然解っている筈なのに、私に言わせたくて意地悪く聞いてくる。

「怜が――怜が欲しい……今すぐ、欲しいのっ……」

　堪えられない私は、そんな彼に楯突く余裕も無く、必死に言葉を紡いだ。

　心が落ち着かなくて、そわそわするような変な感じだけど、それすら今は身体の昂ぶりに繋がってしまう。

　その言葉を受け取ると、高遠は満足そうに頷きながら、

「偉いよ、真琴――ちゃんと言えるじゃないか。じゃあ、ご褒美だな」

「ぁ、ああ――」

　高遠は一度私の髪を梳くように撫ぜてから、私の大腿を割り開いた――。

　・
　・
　・

「はぁっ……」

　体力を使い果たした私の着替えを、高遠が済ませてくれた。

　今日は散々苛められたからだろうか、フラフラしてしまって、まだベッドから起き上がれずにいる。

　少し声を上げ過ぎたようで、喉がカラカラするような――私は何度か咳払いをした。

「大丈夫？」

「うん……なんか、喉が張り付く感じ感じがして」

「何か、飲み物を持ってくる」

　まだ身体が熱いのか、パジャマの袖をまくりながら高遠が言った。

　何だかんだ言いながら、彼は行為の後だというのにケロッとしている。

　……私ほど丈夫じゃない、なんて言ってたのが嘘じゃないかと思う位に。

「ありがと」

　私がそうしてほしいという意味合いで、軽く礼を言うと、高遠が扉を開け、キッチンへと出て行った。

　―――と。入れ違いに、外へ追い出されていたネコ君が帰って来る。

　おそらく扉の近くで待っていたんだろう。

「私が泊まりに来ると、窮屈な思いをさせちゃうのかなー。ごめんねー」

　なんて言いながら、ゆっくり身体を起こして、ネコ君に近寄っていく。

「にゃあああ」

　扉の前でしゃがみこみ手を広げる私を、ネコ君はちょっと面倒そうに見てから小さく鳴いた。

　そして、私の腕から肩を伝って、近くの本棚を通過し、ベッドの方へと軽やかに飛び移って行ってしまった。

「まだ完全には心を開いてくれないのねー」

　何故だろう、高遠と仲良くなればなるほどネコ君には嫌われていくような気がしないでもない。

　やはり、私が来ると閉め出されるということを把握しているのだろうか？

　ネコ君を追うように後ろを振り返ると、青っぽい四角いケースが落ちていることに気付いた。

　吸い寄せられるようにそれを手に取る。

　これ、前にもどこかで見た……。

　その時、私の脳裏に数ヶ月前の記憶が蘇ってきた。熱を出した高遠をこの家に送って来た日のこと――。

「真琴？　そんなところで何を……」

「ねえ、これいつまで持ってるつもりなの？」

　背後の扉からグラスを持って現れた高遠に、私は疲れも忘れて詰め寄った。

「あ、それ……」

　高遠はしまった、というように眉を顰めたけど、私はそのケースを彼の目の前に差し出しながら続ける。

「『R　to　A』……これ、昔付き合ってた人とのマリッジリングでしょ？」

「何で、知ってるんだ？」

　高遠は、私が知っているということが意外だったようで、困惑しながら訊ねてくる。

　そうか、高遠は私が付き合う以前に家の中を物色したこと、知らないんだ。

　でも今はそれが問題じゃない。私はわざと詰問口調で続けた。

「私の質問に答えてよ。昔のマリッジリングを今も大事に持ってるってどういうこと？」

「別に大事に持ってるってワケじゃ……」

「じゃ、捨ててよ。今捨てて、直ぐ捨てて」

「うーん、こういうのってどっちに分別したらいいか……」

　分別って、ゴミの？

　高遠は真面目な顔でそんなことを言い出す。私はガクっと力が抜けそうになった。

「分別なんてどっちでもいい！　私っていうものがありながら、何で昔の女との指輪なんて取っておくの。

もしかして……復縁できたらいいなーとか思ってるワケじゃないでしょうね？」

「いや、思ってないに決まってるだろう。そもそも……復縁は有りえないよ。絶対に」

　高遠は大きくため息を吐いて、私が差し出した指輪のケースを取り上げた。

「あっ」

「ちゃんとゴミに出しておくから。それでいいだろ？」

　高遠は手にしたケースをゴミ箱の中に入れながら、そうだろう？と首を傾げ、持ってきたグラスを私に差し出した。

　私は不本意ながらも頷いて、それを受け取る。中身は透明――ミネラルウォーターだろう。

「……未練があるのかと思うじゃない」

「………」

　この会話を続ける気がないのか、高遠は足早にベッドへ戻ると、シーツに潜ってしまう。

　また都合が悪いときの黙秘権発動ですか、そうですか。

　黙ればいいってものじゃないのに。高遠のヤツ！

　私はグラスの中身を飲み干すと、それをデスクの上に乱暴に置いて、同じベッドに入った。

　――彼に背を向けて目を閉じたのは言うまでもない。