Scene.1-5


 気がついた時は、走る車の助手席の上……だった。

 照明は車内のライトのみでやや暗かったため、目覚め特有の目の不快感はあまりなかった。

 最初はどうして自分が此処にいるのか理解できなかったけれど、何気なく身体を動かそうと身を捩った時に僅か襲った腹部の痛みと、

 後ろに縛られている両手で、直前のことを思い出した。

 そうだ、私は高遠先生の車に乗ろうとして、突然、お腹を殴られて―――。

 私は、はっと顔をあげ、運転席でハンドルを握る高遠先生に向かって喚いた。

「……高遠先生、一体、貴方はどういうつもりなんですか!?」

 声を発する事で殴られた鳩尾にズキンと痛みが響く。

 すると彼は、おや、と方眉を上げて僅かに私のほうを見遣り、にっこりと温和な笑みを浮かべながら

「気がつかれましたか。気分はいかがでしょう?」

 等と、何でもないように訊ねてくる。

「良い訳無いでしょう……!!? これ、解いてください!」

 私は走行音に負けないよう、i痛みを堪え声を張り上げるように言いながら、後ろに組まされた両手に力を込めて解こうとした。

 けれど、余程きつく結ばれているらしく、私の力では緩みもしない。

 ――おそらくこれは、彼のネクタイだ。さっきまで締めていた、落ち着いた水色のネクタイ。

 シルクのつるつるした感触もそうだし、運転する彼の寂しい襟元を見遣れば直ぐにわかる。

 車は角を曲がると、路地裏に入る。街灯の一つすらない其処で、彼は車を止めた。

「解いたら貴女は逃げる気なんでしょう? 千葉先生――それはちょっと困るんですよね」

 口調こそ変わらないものの、そういう彼の声音は酷く冷たく響いた。

「なっ……」

「貴女が先ほどの出来事を忘れてくれるまでは、帰すわけにはいかないんです」

 彼の唇が残酷な笑みに歪む。

 私は2度目の警笛の音を聞いた。

 ……違う。

 この人は、違う。

 私の知っている高遠先生じゃない。

「い……いやっ!! か、帰して、私を、帰して!」

 信じられない状況下では、思わず声が上ずる。

「それは出来ないと今言った筈ですけど?」

 手の自由が利かないために、身体ごと動かしてドアへと擦り寄る私の肩を易々と掴んで、彼が言った。

 もう片方の手には、足元の紙袋から拾い上げたナイフが握られている。

 私は予想していなかった展開に息をのんだ。

「や――な、何を……!?」

「大人しくしていれば其処まで酷いことはしないで上げますよ」

 そう言いながら、彼はゆっくりとナイフを私の首元に宛がう。

 恐る恐る視線を下げると、刃先がきらりと光った――迫る身の危険に恐怖を感じ、私はぴくりとも身体を動かす事ができなくなる。

「や、めて……忘れますっ……さっき、見たことは誰にも……! だから、だから……っ」

 命だけは、と、意図しなくても掠れてしまう声で懸命に伝えようとする。

 彼は、触れている私の肩が小刻みに震えているのを知ると、あぁ、と小さく笑った。

「何か勘違いしているようですけどね、千葉先生…俺は別に貴女を殺そうとかそんなつもりは全くないですよ。ただ――」

  『俺』

 一人称の露骨な変化に私は更に身を竦ませる。

 殺すつもりはないとの言葉に一瞬、安堵するも、続くそれは決して喜べるものではなかった。

「――ただ、貴女がこの事を告げ口しないように、先ほどの生徒と同じような事をして貰うだけです」

「同じような……? それって―――きゃぁっ!?」

 言葉を全て紡がないうちに、顎の下に宛てられていたナイフが白いシャツブラウスと黒いカーディガンの合わせを通り、

 ベージュのタイトスカートの手前、丁度臍の部分まで引き裂くよう一気に下ろされた。

 ビッ、と生地の引き千切れる音が鼓膜に響くと、その行為の意味を瞬間的には理解する事が出来なくて、頭の中が真っ白になる。

「貴女は俺の秘密を知ってしまった。けど、俺が貴女の秘密を握れば、貴女は黙らざるをえなくなる……そうでしょう?」

 他の誰も見たことがないような、陰湿で冷たい微笑みが、私へと向いている。

 恐ろしい言葉を浴びながら、私の中で最後の警笛が鳴り響いていた。

 このままじゃ、私は無事で居られない。絶対に此処で逃げなきゃいけない。

「あぁ、すみません、ちょっと切れてしまいましたか?」

 気が動転してしまって言葉すら出ない私のブラウスの片側をぐっと掴んで、彼は私を自分のほうに引き寄せる。

 裂かれた服の間から、薄くではあるけれど紅く一本、胸の覆いに真っ直ぐ交わるような傷が出来ている。

 あまりのことに、痛みになど気がつかなかった。

 私は初めてそれを目にしてやっと―――この人は、私を、レイプしようとしているのだと確信した。

「は、放してっ!!」

 私は声の限りを出して叫び、彼から顔を背けてひたすら身体を捩った。

「少し静かにしなさい。夜は外に響くかもしれませんから」

 彼は一度ナイフを傍らに置き、騒ぐ私の口の中へポケットから取り出したハンカチを突っ込んだ。

「ぅ……く、っ」

 喋れば喋ろうとするほどハンカチが口内に纏わりつき、声がくぐもって明瞭に発する事が出来なくなる。

 驚きで少し私の抵抗が和らいだ隙に、彼は運転席のレバーで私の座る助手席を、後部座席の方へと倒してしまった。

 私の身体は当然、座席ごと後ろに傾く。

「ゃ……!!」

 次いで彼が運転席側から助手席に移動し、横たわる私に覆い被さってこようとする。

 私は最後の抵抗にと足をばたつかせてみるものの、彼の足に挟まれて動きを封じられてしまう。

 『お願い、助けて!! 絶対、誰にも言ったりしないから!!』

 そう叫びたくても、言葉を発せない。

「もう諦めた方がいい。抵抗なんてしないで楽しんだほうが身のためですよ」

 勝手なことを口走りながら、彼はブラウスを掴んだままだった手を再び肩に置き換え、ぐっと下に押し付ける。

「ぅ、あ……!」

 後ろで組まされている両手に、身体の重みを受けて痛みが走る。

 腕が壊れてしまいそうで、私はついに抵抗を止めてしまった。

 彼のもう片方の手は探るように、破れたブラウスとカーディガンの間を縫って肌の上を滑っていく。

 皮膚同士の摩擦にびくっと身体が強張る。

「綺麗な肌ですね。赤が綺麗に映えてる」

 言いながら、今度は傷口だけを辿るように、腹の方から胸の覆いまで撫で上げていく。

 伴うピリッとした痛みをハンカチを噛んで耐えながら、私は真上にある彼の顔を睨んだ。

 彼はそんな私を見下ろしながら、愉しげに笑っていた。

「運が悪かったと思って諦めなさい。貴女だって――こういうことが初めてなわけじゃあるまいし」

 そういう問題じゃないわ、と口を吐きそうになるのを、ハンカチに阻まれる。

 確かに、初めてなワケじゃない。

 でも、好きでもない彼と関係を持つほど愚かなつもりも毛頭ない。

「ゃ……」

 私は必死に首を横に振った。それしか気持ちを伝える方法が思いつかなかった。

「別に、そのまま耐えるなら耐えるで構わないんですけどね」

 自分には関係ないという軽い響きの言葉を落とすと、彼は片手でぐっと破れたカーディガンとブラウスを左右に割り開き、

 私の肌を露出させると、未だその一部を覆い隠すブラジャーへと手をかけた。

 そして、肌との隙間からその手を滑り込ませて、膨らみをやわやわと揉み解していく。

 強姦という形で触れられている私は、この唾棄すべき男に不快しか感じないはずだった。けど――。

「……ぁ、っ…」

 自分でも意外だった。

 彼の指がその頂きを摘む様に撫でた瞬間、カッ、と頬が熱くなった。

 同時に背中の筋肉が緊張して、びくんと震える。

 敏感な其処へと送られる、僅かだけれども確実に感じる甘やかな感覚。

 嫌だ。私はどうしたっていうの?

 気持ち良い筈がない。そんな事はあってはいけない。

 身体の反射とは言え、私は自分自身に戸惑いと嫌悪を感じる。

「っ、ぅん……!」

 洩れる私の声も何処か艶を帯び、拒絶の呻きとは別のものになっていたような気がする。

 そんな自分を否定したくて、私は頬の熱を飛ばすようにまた首を振った。

 高遠はというと、私の変化を見過ごすはずはなく、小さく笑いながら

「敏感なんですね。」

 と、揶揄ともとれる言い方で呟いた。

 違う、そんなつもりじゃないと睨み返そうとして、またあのゾクゾクする感覚が身体に走る。

「ふ、ぁ……」

 素直な反応を見せる私へと、面白がった彼が尚もしつこく指先で刺激を送ってくる。

 ゆっくりと円を描くように胸の中心撫ぜてから、親指の腹で同じ場所を捏ねる。

 彼の指使いは優しく繊細なまるで恋人にするようなそれで、この無理矢理な状況に全くそぐわない。

 それが逆に私をおかしくするのかもしれない。そう、私はおかしいんだ。

 でなければ、レイプされかけている相手に欲情しているなんて、そんなこと、絶対に、有り得ないのだから―――。

「んぁ……!」

 彼は2本の指できゅっ、と、軽く頂きを抓った。

 小さな痛みの中にも、じわじわと心地よさを感じてしまう。

「此処には俺と貴女しかいない。我慢する意味もないでしょう?」

 堕ちてしまえと悪魔、いや、悪魔のような男が囁く。

 けれどもそれは私の中に残った最後のプライドが固く拒んでいた。

「んー……っぐ、く……」

 助けて、放してと訴えるように、組まされた両手の痛みに耐えながらまた身体を捩じらせる私を見遣ると、彼は肩を竦めて

「頑張りますね」

 と苦笑した。だからと言ってこのまま私を見逃すつもりはないらしく、続けて、

「なら堕とし甲斐があると言うものです」

 絶望的な台詞を平然と吐き捨て、ついにタイトスカートへと手を伸ばしてくる。

 高遠はあくまで緩慢な所作でスカートをたくし上げるとストッキングの上から、太腿から下着が被う部分までをすっと撫で擦る。

 声だけは出してはいけないと、私はその感触に唇を噛んで堪えた。

 其処からまたゆっくりと、指先でなぞる様に両足の間まで下りてくる。

 彼はわざと私の顔と見比べ、反応を窺いながら下肢を指の腹で撫で上げた。

 ついに恐れていた領域へと踏み込まれ、再び私の抵抗は大きくなる。

 その無駄な抵抗をいとも容易く抑えた片手で封じてしまうと、片手で肩をぐっと押え直し、ストッキングと下着を一気に引き下ろした。

「っ―――……」

 秘所を晒された羞恥から、私はまた顔を紅潮させながらぎゅっと目を瞑る。

 そもそも、同じ条件でだって男性の力になんて敵うはずないんだ。さらに今、私には抵抗を阻む枷がある。

 微かにだけれど私は頭の中でそれを理由にして、先ほど掠めた別の理由を覆い隠してしまおうという意識が働いていた。

「下着越しじゃ物足りないんじゃないですか?」

 彼は自分の中でも誤魔化しかけていた『別の理由』をスッパリ訊くと、邪魔の無くなった下肢へと片手を伸ばし、秘裂を被う恥毛を撫ぜた。

 おそらく、より私の羞恥を煽るためなんだろう。顔だけでなく首まで赤くしながら、悔しさに高遠の顔を睨みつける。

 彼は、何か?と訊くように首を傾げて、それからつっ、と秘裂をなぞり上げる。

「ん―――!」

 予想していたよりも遥かに鮮烈な感覚が背中に駆け上がった。

 嘘。たったそれだけで、こんなに反応してしまうの?

「本当は欲しかったみたいですね」

 言いながら彼は、撫でた指をそのまま、秘裂を割り奥へと突き入れた。

「ぁあっ!!」

「全然痛く無いでしょう? 準備は出来てたみたいですし、まさかこの期に及んで嫌だとか言いませんよね?」

 揶揄よりは寧ろ嘲笑交じりの口調に、耳を塞ぎたくなった。

 情けないことに、私の其処は彼からの刺激を期待して――濡れていた。

「身体が素直なのは悪い事じゃないと思いますけど、貴女、相当好きなんですね」

 私は言葉を返せなかった。

 いくら肉体の反射だからって、襲われているのに悦ぶなんて確かに普通じゃない。

「そんな人に俺のことをとやかく言う権利がありますか?」

 冷たい言葉を吐き捨てながら、高遠は挿れた指を前後にスライドさせて、内壁を擦る。

「っー……あ、っ……」

 内壁越しに彼の指をリアルに感じる。

 私は自分の声が鼻に掛かった艶かしいものに変わっていると、はっきり気がついていた。

 さっきまで出来た事が出来ない。声を抑えることができない。

 内部に侵入してきた指、たった1本がこんなにも自分の身体を熱くし、乱れさせることができるなんて。

 私の呼吸が不規則になってきたのを見計らい、もう抵抗しないと思ったんだろう、高遠は押さえつけていた私の肩から手を離した。

 折角の逃げるチャンスだけれど、私にはこんな身体を放り出して逃げ出す事なんて不可能だった。

 両手が空いた事で、片手で下肢を、もう片方の手を胸の膨らみまで戻して摘み、継続して刺激を送ってくる。

「んー……んっ、く……」

 正直、もどかしかった。

 高遠は私が極まるほどの愛撫はわざと避けているようだった。

 先ほどよりも下肢の抽送はおざなりだし、胸に伸びる手も決して頂きには触れずに白い肌を撫でているだけ。

 堪らず私が目で訴えると、それも計算のうちだったというように彼が微笑んだ。

「子供じゃないんだ。欲しいのならねだってくださいませんか?」

「……!!」

 彼は片手を伸ばし、私の口に押し込んで唾液を吸ったハンカチを取り去って言った。

 何てことを言い出すのだろう、この男は。

 こうして辱めを受けているだけじゃ満足せず、私から求めろと言っている。

 あまりのことに目を瞠り、高遠の顔を見詰めたまま視線を動かせなくなる。

 車内の暖色の灯りに浮かぶ私の顔が彼の眼鏡のレンズに移りこむ。

「貴女ばかり愉しむのは不公平でしょう?それとも、俺の言う事がきけませんか」

 なら止めると言わんばかりに、秘裂から指を抜き取った。

「やめ――……」

 突然の喪失感に思わずそう叫んでしまいそうになりながら、はっと口を噤む。

 何を言っているの?私は。

 この男に縋って、私はどうしたいというの?

「や……めないで……!」

 もうワケがわからなくなっていたのかもしれない。

 とにかくこの身体の熱を抑えられるのは、目の前の男しかいない。

 残った理性が疎ましかった。早く、早く、解放されたい。

 祈るように高遠を見詰めるものの、そんな生ぬるい言葉で彼は満足しなかった。

「頼む時の言い方があるでしょう? 何を止めないで欲しいのか、きちんと説明してください?」

 この男は本当に悪魔だ。

 口に出すのを躊躇したところで、身体を慰める事にはならない。

 それが解かっていたから、中途半端に開き直っていた私は、ついに

「お願いしますっ……やめないで、指、挿れてっ……早く……!」

 ―――自分から、相手を求めてしまった。

 高遠はそれを聞き届けると、いいでしょう、と呟いて再び下肢へと手を這わせた。

 人差し指と中指、2本を私の中に埋め、ぐるぐると掻き混ぜるように動かす。

「ゃああっ……ん!」

 まるで電流のような快感が身体を支配する。

 もう片方の手は胸の頂きへと伸び、押しつぶすように指先で捏ね回す。

 やはり先ほどの愛撫は焦らすためのものだったんだろう。比べ物にならない。

「じゃあ解放してあげますね。暴れたり我慢したりで疲れたでしょう?」

 その言葉を合図に、高遠の指の動きが激しくなる。

 今まで触れなかった秘裂の間の突起に2本の指が掠めて、其処がひくつく。

 急速に高まっていく身体が、自分が怖くなり、喘ぎに言葉だけの拒否が篭る。

「だ、だめぇ……あ、やあぁ……」

「止めて欲しくなどない癖に」

 彼はそう笑うと、胸と下肢で赤く腫れ主張する突起をきゅっと抓り上げた。

 その場所からびりびりと電気のような甘い痺れる感覚を受け取った、次の瞬間。

「ふ、あぁ―――!!」

 びくん、と身体を震わせ、両腕の負担にも構わず倒れた座席へと完全に体重を預ける。

 敏感な場所を2箇所同時に摘まれ、あっけなく達してしまった。

 私は憎むべき男のその手で上り詰めたのだ。

 欲求を満たして失いかけていた理性を取り戻し、罪悪感と嫌悪感に満たされる。

 暫く気だるい呼吸に胸を上下させていると、目の前が白くチカチカと光り、シャッター音が耳を掠めた。

 何だろうと眩しさに目を細めながら、私はぎょっとした。

 彼がデジカメのレンズを、はしたない姿を晒す私へと向けていたから。
 
「なっ、高遠先生……!?」

「貴女が誰かに告げ口をしないようにしたいんですよ、俺は疑い深くてね。これは保険であり武器です」

 にべもなく言いながら、悪魔は天使のような笑顔を浮かべて続けた。

「これから愉しくなりそうですね? 千葉先生」

 恐ろしい台詞を投げかけられ、やっと、私は自分が犯した間違いの深さに気付かされる。



 ―――それこそが、彼への服従を意味する『 signal 』だったということに。