I'm here

Scene５　レイジと礼司

「まぁ、上がってよ。大したモンはないけど」
「……お邪魔します」

　表札の無いマンションの一角、ドアの前。
　レイジの言葉に、私は小さくお辞儀をしながら部屋の中へと足を踏み入れた。
　靴下越しでもフローリングの床はヒヤリと冷たい。学校ほどではないけれど、かなりクーラーが効いてるらしい。
　中を見遣るとキレイに整頓されていて、ミント系のハーブの香りも手伝い清潔感を感じさせた。

　私は結局、少ない荷物を持ってレイジの待つ校門の前へと戻った。当然家族には黙って、だ。
　彼は赤く潤んだ目の理由も訊かずに、笑顔で迎えてくれた。
　もう家も学校もたくさんだ。
　これからは、自分のことは自分で決める。
　当たり前な事なのだけど、私にとってそれは非常に新鮮なことに思えた。
　何処に行きたい？と訊かれたとき、私は凄く悩んだ。
　出来るならうーんと遠くがよかったけれど、海外行くにはパスポートが必要だし。（そこまで気が回らなくて、持ってこれなかった。残念）
　かといって、国内で地方に飛ぶにはお金が掛かる。
　レイジはそれでも良いよって言ってくれたんだけど、万が一、お金の問題で自宅に連れ戻されたら最悪だ。
　なるべくなら、私の気が済むまでは帰りたくない。
　いろいろ考えた結果、レイジの家という結論に辿り着いたんだけど。
　……ホラ、やっぱレイジの縄張り（？）に足を踏み入れるんだから、なんとなーく躊躇したのね。
　そこで『お互いのためにルールを作ろう』と言い出したのは、レイジだ。
　訊かれたくない事は訊かない。詮索はしない。嫌がることはしない。
　そして、互いを異性として見ない、ということ。
　レイジ曰く、これが一番大事なコトなんだとか。

「だってそれじゃ、俺がアイちゃんのカラダ目当てで誘ったみたいでしょ」
「えー、でも最初は誰でもそう思うよ」
「だーから、違うんだってことを証明しないと」

　レイジは歯を見せて笑いながら指を振った。
　通された部屋はワンルーム。ベッドとソファ、ローテーブルだけのシンプルな部屋。
　あ、ベッドの奥にパソコンがある。あそこが私の部屋と繋がっていたのかと思うと、何だか不思議な感じがする。
　それにしても……。

「ねぇ、もしかしてレイジは赤が好きなの？」
「何で解かるの？」
「だって髪色もそうだし、家具も赤系でしょ。そういえば昨日のチャットの文字色も赤だったよね」

　ちょっと目がチカチカしそうだ。真っ赤っ赤ってワケじゃないけど、私はどっちかというと原色よりはもうちょい彩度落とした色の方が好きなタイプだから、少し吃驚した。

「テキトーに座ってて……ネットしててもいいや。オニーサンがアイスコーヒーを作ってあげよう」
「ホント？わーい、やった」

　初めて会ったとは思えないくらい、私とレイジはすっかり仲良くなっていた。
　恐いと思っていた第一印象なんて吹き飛んで、今ではもう『優しいお兄さん』だ。
　レイジの人当たりが凄く柔らかいって言うのもそうなんだけど……何なんだろうなぁ。
　初めて会った気がしないっていうか、誰かに似てるって言うか……。

「じゃ、パソコン借りるね」
「どーぞ」

　私はダークレッドのパイプベッドに腰掛けながらパソコンに向かった。
　どうやらレイジはベッドに座ってパソコンをするようで、寝転がった時丁度足に来る部分が椅子代わりになるように、
　デスクトップのパソコンが置かれていた。パワーボタンを探して押す。
　程なくしてデスクトップが表示された。
　うわぁ、画面埋め尽くすくらいにファイルやフォルダが置いてある。何だろこれ。
　あまりに多くて背景画像がよく解からないくらいだ。

「あー、それね。仕事のなんだけど、整理しようと思いつつ中々できないんだ」

　ディスプレイ目の前に瞳を瞬かせている私を見つけたレイジが、向こう側のミニキッチンからマグカップを２つ持ってやってくる。
　そのうちの１つをはい、とマウスのとなりに置いた。

「ありがと。……へぇー、仕事か。なんの―――……」
「え？」

　何の仕事してるの？と訊ねようとして、私は口を噤んだ。
　訊かない方がいいのかもしれない。っていうか、訊く必要なんてないじゃない。
　互いを詮索しない約束なんだから、それは守らなきゃ。

「ううん、何でもない。それよりさ、チャット行きたいんだけど」
「昨日のトコだよね、じゃブクマしてあるからちょっと貸してくれる？」
「ん、お願い」

　私が場所を空けると、レイジはコーヒーを啜りながら慣れた手つきでマウスを操作する。
　横にずれた私も、マグカップを手にとり、ほろ苦いコーヒーを一口含んだ。
　うん、冷たくて美味しい。
　コーヒーにガムシロップやミルクを入れるのは外道だ。
　不思議なもので、ブラックが好きだなんて言ってないのに、彼は余計なものを何も入れずに私に遣した。
　うーん、波長が合うって凄い。

「はい。いいよ」

　レイジはページを表示させると、私と場所を交換するため立ち上がった。
　軽くお礼を言うと、早速『アイ』の名で入室ボタンを押す。
　画面右下で時計を確認すると、もう21時。誰かしら居るだろう。

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案内>アイさんが入室しました！
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在室者表示を見ると、2人。
今日は割りと少な目だ。

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かのん>アイﾁｬﾝだｖｖｺﾊﾞﾜ
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ミカ>昨日ぶり！！＞アイ
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「今日はかのんとミカだけか」
「チャットって、アイちゃんはよくやる？」
「んー、やるよ。っていうか、ほぼ毎日。出れるだけ出てるみたいな」

　レスを打つ合間、レイジの質問に答える。
　寧ろリアルで関わってるヒトよりも、この子達は私に詳しいはず。
　それくらいは色々話してる。まぁくだらないことばかりだけど。

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ミカ>レイジ君とは、会ったの？（笑
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　再び返って来たミカの発言に、私は小さく笑いを零した。
　この子達は、私が今何処に居るかなんて知らないんだ。
　どうしよっかな。言わない方がいいかなぁ。
　うーん。

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かのん>えぇー気になるぅー（＞＜）
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アイ>ご想像におまかせ、なんて（笑
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　曖昧でいいよね。もし実際に会ったって知られて面倒なことになったらヤダし。
　ちらっと横目でレイジの様子を見ると、ぼんやりと紫煙を吐き出していた。
　右手の指２本に挟んだ煙草へと目がいく。
　うちには煙草を吸うヒトがいないから、妙に新鮮な仕草だった。

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ミカ>レイジって人、成陵だったん？＞アイ
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　あ、そういえば聞いてないな……。
　ミカの発言を受けて、私は昨日からずっと気になっていたことを変化球で訊いてみることにした。

「ねぇ、レイジはどうして待ち合わせ場所を成陵にしたの？」

　彼はローテーブルの灰皿を引き寄せながらあぁ、と頷く。

「んー、俺の母校だから」
「えっ、レイジって成陵なの？」
「そうそう、見えないでしょ」
「あ、ううん、そういう意味じゃないけど……。」

　そっか、レイジも私と同じ成陵高校なんだ。余計親近感湧くなぁ。
　でも母校ってことはもう卒業しちゃってるんだよね。
　……今日昼に葉月が言ってた事も外れてたワケじゃないのかもな。自慢ってヤツ。

「あと、チャットのログ見てさ」
「ログを？」

　ログって言うのは、チャットで過去に発言されたもののことを言う。
　私とレイジが居たチャット室のログは50行。表示画面に過去50行分の発言が残っているっていう意味だ。

「『アイ』は超キビシイ進学校に通ってて、この辺の地域に住む女子高生。」
「まさか、それだけのヒントで？」
「カマかけただけなんだけどね」

　当たっちゃった、なんて言いながら、レイジは煙草をふかしながらまた笑った。
　……ふーん、なるほど。

「それにしても、本当に成陵だったとは驚いた」
「え？」
「この制服。成陵でしょ？流石に覚えてるよ」

　レイジは灰皿に煙草を押し付けその手を伸ばすと、そっと肩の上に乗せた。
　そのまま、何かマジメに考えるような素振りで彼は動かない。

「何？」
「アイちゃん、ブラ線透けてるよ」
「は？」

　言いながらレイジがその線をブラウス越しに撫でる。
　な、何言っちゃってるの？
　一瞬警戒したけど、寧ろ言い方は『気をつけて』って感じで、やましい風には聞こえなかった。
　きっとレイジは、本当に私の事そういう風に見てないんだな。意識してたら、それこそセクハラ発言だ。
　……あれ。こんな事、いつか有ったような――

　『なー紺野』
　『何よ、土屋』
　『ブラ線透けてるンですけど』
　『はっ？？な、何見てんの』
　『はは、紺野に挑発されるオレじゃないし。他の男子の視力を守りたいなら隠しとけ』
　『うっわ、ムカつく。よけーなお世話！』

　思い出した。高２の時だ。
　その時も、やっぱり夏で。蝉の音が煩くて。
　学校指定のベストを着るのが暑苦しかったから、今みたくブラの上にブラウス１枚で。
　全然気にしてない風に、土屋に言われたんだっけ。
　やっぱり異性として見られてなかったのかぁって、あの後さり気なくヘコんだんだよね。
　――――土屋。そうか、土屋か。
　レイジが誰かに似てると思ったのは、土屋だったんだ。
　年齢の割には幼く見える笑顔とか。見かけによらずキチンとしてるトコとか。
　そういえば最初チャットでレイジの名前を見たとき、土屋かもって思ってたんだよな。
　実際は全くの別人だったけど………。
　………………。
　…………。
　……。
　やだ。何でドキドキしてきたんだろう。
　今更、知らない男の人と２人きりなんだというコトを意識してきた私は、レイジにその気が無いとは知りつつ俯いてしまう。

「……あ、ごめん。ヤだった？」
「ううん、別に……。前、クラスメートに同じことされたなって……」

　どうして声が上ずるんだろう。
　私から手を離したレイジが困った顔をしているのは、確かめなくても伝わってくる。
　きっと私が意識しているのは、裏返しだ。
　土屋に意識して欲しかった、だからレイジに意識して欲しいっていう密やかでくだらない願望。
　違うんだよ、楓。このヒトはレイジなんであって、土屋じゃないのに。
　土屋じゃないのに……。

「アイちゃ――」
「レイジ、私って女の子だよね？」

　確認するように訊ねた。
　私はチャットのレスをつけることも忘れ、じっと赤茶の髪のかかるレイジの瞳を見つめた。

「そうだよ」
「じゃあ、私のコト女の子として見てくれるでしょ？」
「アイちゃん？」
「見てくれるなら、私、嫌じゃない」
「え？」
「私、レイジに抱かれても嫌じゃない。ううん、抱いて欲しい」

　放りっぱなしのチャット画面で、かのんとミカの会話が続いている。
　彼女たちは知らない。私がレイジの部屋にいるってこと。
　そして、私が何をしようとしているのかも。
　解かってる。土屋じゃないってことくらい、解かってる。
　でも。
　一度、感情というステータスの箍を外してしまったら、自分じゃ抑えられなくなってしまったみたい。
　レイジは私を家族から解放してくれた。
　だったら、土屋からも解放してくれるでしょう？
　抱えきれなくなった土屋への想いを、私は今。
　レイジと繋がる事で忘れてしまおうとしていた。