Scene.1-4
「真琴先生お早う! 今日も寝坊??」
「なーに、真琴先生ってばまた夜遊び〜??」
「煩いっ、違うわよ。ほら、急がないと貴女達が送れちゃうよ?」
きゃははっと明るい笑い声を立てながら、必死に通用門へと走る私に女子生徒たちが話しかけてくる。
『別に夜遊びじゃなくて、飲みすぎただけです』なんて生徒に言えるはずも無く――言い訳にもならないのだけど――、
彼女たちへ無難に答えると、『はーい』等と頷きながら彼女らも校門へと走っていった。
朝はとにかく時間がない―――それは生徒にも、教師にも言えることだと思う。
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「千葉先生、お早う御座います。今日もギリギリ間に合いましたね?」
「あ、お早う御座います。……やだな、川崎先生までそんな」
「はは、生徒たちに言われでもしましたか。千葉先生、生徒受けが良くて羨ましいなぁ。」
「別にそんなことないですよ。年齢が近いのでからかわれてるだけですって」
私はそう言いながらも悪い気はしなかった。
新学期が始まり、2週間が経とうとしている。
授業にも段々慣れてきて生徒と接する機会が多くなると、行きや帰りに声を掛けられる事が多々ある。
―――私の場合は多分、『遅刻魔』という笑いのネタにされやすいキャラクターがついてしまったからというのもあるんだろう。
1時間目から授業が入っている時は、大体息を切らせながらクラスに入ることが多い。
理由は簡単。私が定刻寸前まで自宅で寝ているからだ。
いけない事とは自覚しつつ、一人暮らしは起こしてくれる人間がいなくてついつい寝過ごしてしまう。
教師以前に、人間失格だよなぁ。私。
「いやぁ、でも若くて綺麗な先生だと、生徒たちも気に入るんでしょうねー」
そう言って目の前で嫌味なく、あはは、と笑うのは国語科の川崎先生。職員室での席が近いため、よく話し相手になってくれる。
川崎先生だって、まだ30手前位らしいのだから、同じだろう。しかもこの先生、実際より2,3歳は若く見える。
マリンスポーツが好きとかで、身体を焼いている所為かもしれない。
話し方も良い意味で遠慮なくハキハキしているし、最初は保健体育の先生かと思った。
ついでに言うと確実に私の中の『国語科』というイメージを打ち破ってくれた。
……なんか国語科っていうと、凄く線の細いヒョロい色白の先生を思い浮かべるのは私だけかな。
「生徒受けが良いって言うのでは、高遠先生には敵いませんよー、ねぇ?高遠先生」
私は、少し離れた場所でホームルーム用のプリントを束ねている彼へと話を振った。
この学校の教師たちは、多少の例外はあれど皆愛想がよく、仲が良い。
私が高遠先生とそれなりに会話をするようになるのも時間はさほど掛からなかった。
「いえ、やはり女性の先生の方が生徒も喜ぶんじゃないでしょうか」
「またまた、そんな事仰って。去年のバレンタインの話、聞きましたよ?」
そう、高遠先生は女子生徒から異様にモテる。
芽衣から教えてもらったんだけど、その日の夕方帰る時までに、高遠先生の机の上にはチョコレートが大量に置いてあったらしい。
流石に本命と銘打つものは極少数だろうけれど、生徒からかなりの信頼を得ているのは確かなんだろうな。
高遠先生の話を聞けば聞くほど、こんなに完璧な人間が居て良いのだろうかと恐ろしくなる。
彼はこの進学校と謳われる成陵高校出身の秀才。
スポーツも万能――花形スポーツであるサッカー部に在籍し、現在は顧問!――で生徒会長だったという、
まるで少女漫画に出てくるヒーローのような経歴の持ち主。
且つ眉目秀麗。誠実温厚。もうケチを付けられない完璧な人間。それが高遠先生だ。
「あぁー、あの日は凄かったねー。教員生活で一番の驚きだったかもしれないなぁ」
私の言葉を受けて、川崎先生が腕を組み思い出す仕草をしながら数度、頷く。
「まぁ……慕ってくれるのは嬉しいんですけどね。掌を返されはしないか心配ですよ」
そう苦笑すると、一つ礼をして高遠先生は職員室から出て行った。担任を持っている教師はそろそろホームルームの時間だ。
「おっと。じゃあ僕も行くとしようかな。そうだ、千葉先生」
その高遠先生の姿につられたように、川崎先生も立ち上がると、不意に私へと呼びかける。
「何でしょう?」
「今夜、食事でも一緒にどうですか?良い店知ってるんですけど」
まだ幾人か残っている教師たちに聞こえないよう、耳元で声を潜めながら川崎先生が囁く。
「すみません……今日は、パトロールが入ってしまっていて。また誘ってください」
「あ、そうでしたか、残念だなー……じゃあ、また後日にでも」
ひらりと手を振れば、後日、と強調しながら彼も職員室を出て行った。
―――今のはきっと、デートの誘いだったんだろうなぁ。
川崎先生のことは嫌いじゃない。話していて楽しいし、男っぽいカッコよさがあるし。別の日ならば喜んでOKしただろうと思う。
だけど、今日に限って『パトロール』の当番が回ってきてしまっている―――パトロールっていうのは、
前回の職員会議の議題に上がった、我が校の援助交際に対する措置。
平たく言うと、行為に使われていると言われるラブホテルを見張り、うちの制服の生徒が出てきたところをおさえる、という探偵まがいの当番。
各職員、月に1度はこの『パトロール』に割り当てられる。まったく迷惑な仕事だ。
「あーあ……残念だなぁ。折角向こうから誘ってくれたのに」
溜息と共に小さく呟くと、予鈴が鳴った。
机の上の教科書とチョークケースを持って、私も1時間目の授業へと向かった。
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勤務時間も終りもう陽も沈んだ頃、私は一人、例のホテルの前の喫茶店で入り口を見張っていた。
窓際は全面ガラス張りで、余所見をしていても、生徒がホテルから出てくる現場はしかと見届ける事が出来るだろう。
けどそれで問題の生徒が現れるかどうかは別。現れてくれないほうが良いに決まってはいるけれど、
こっちは誘いを蹴っているのだから一人や二人補導しないと気がすまないと思ってしまうのは致し方ない。
いや、私の勝手な都合なのは解かってるけどさ。あー、もう。
何だか悔しくて、既に時間が経ってぬるくなってしまったレモンティーを、スプーンでカチャカチャと音を立てて掻き雑ぜる。
もっと悔しいのは、一緒に当番にあたってた先生が用事があるからとかナントカ言って仕事をすっぽかした事だ。
用事なら私もあったわよ!と叫びたいのを抑えて、こうやって一人でホテルの様子を窺っているわけだけど、暇で暇でしょうがない。
芽衣なら助けてくれるかと思ってメールを打ってみたものの、『今日は都合が悪いからごめんね』って断られてしまったし。
いっそのこと川崎先生にパトロール付き合って貰えばよかったかなぁなんて考えてる。
あー、ホント、勿体無かった。
大体ね、制服のままラブホに入るほど馬鹿な女子高生って居ないと思うわけよ。
それなのに、ウチの学校の生徒だって気がつくためにはその生徒がウチの制服着てなきゃいけないわけだし。
そんな調子じゃ補導なんて無理、無理。
「そもそも、あのホテルから人自体が出てこな………あ」
頭の中で行き場をなくしてぐるぐると回っていた愚痴が、つい口から出てしまってた頃、制服を来た女子生徒と、男性が出てくるのが見えた。
けれど、その女子生徒の制服は赤いスカーフのセーラーで、深緑のブレザーの成陵の制服と見間違えるわけがなかった。
ウチの生徒じゃないなら、と視線を外しかけた瞬間、私は相手の男性の顔を見て、嘘、と叫びだしたくなった。
「高遠先生……!?」
ノンフレームの眼鏡、その下の優しげな眼差し。そして整った聡明な顔立ち。
間違いなかった。
其処に居たのは、今朝職員室で会った時そのままの彼――高遠先生だった。
そう確認した途端、私の心臓の鼓動は急速に早まった。
――まるで、危険を知らせる警笛のように鳴り響く。もしかして私は、見てはいけない光景を見てしまったのかもしれない。
どうして?
何で高遠先生が、他校の女子高生と歩いているの?
ましてやラブホから出てくるなんて理由はひとつしか思いつかない。
でも、彼に限ってそんなこと――――。
この状況に納得のいく理由を頭の中で必死に探す間にも、高遠先生と思われる影は遠くなっていってしまう。
「まさか、そんな……」
私は居ても立っても居られずに、急いで会計を済ませ、店を飛び出した。
きっと何かの間違いに決まっている。そう信じたい。
私は事実を問い詰めたいと思うよりは、今見てしまった事実を否定して欲しくて、駐車場へと向かう彼の後を追った。
「高遠先生!」
名を呼ぶと、彼は驚いた様子で振り向いた。
先生、と不用意に呼ぶのは拙かったかと思いつつ、どうやらホテルの入り口で女子生徒と別れた彼は一人だったみたいだ。
「千葉先生……」
「どういう事ですか、高遠先生。」
私が問い詰めると、彼は平静を取り戻しいつもの微笑を浮かべながら、何か?、と首を傾げた。
「どうして……どうして他校の女子生徒とラブホテルから出ていらっしゃったんですか!? 私、今見たんですよ!?」
どうしてそんな白々しい事を訊けるのだろう、と、私の語勢は強くなる。
今まで信じて尊敬していた彼だけに、理不尽だという感情も強い。
道端で喚く私に困惑したのか、彼は人差し指で静かに、と示す仕草をしてみせてから、
「千葉先生、声が大きいですよ」
と、周囲を見回して声を潜め、それから真剣な表情で私を見つめた。
「そうですね……此処ではお話しし辛いことですので、僕の車までいらして頂けますか?」
「わかりました」
声を荒げた事を謝り、私はその真摯な瞳に申し出を了承した。
迷わず即答したのには理由があった。
きっと、さっきの出来事にはワケがあるのだと信じて疑わなかったから……たとえば内部に潜入した補導の最中だった、とか。
高遠先生に限ってそんなことは有り得ないという思い込み、ううん、
芽衣の気持ちを知っているから、そうであってほしくないという願いもあったのかもしれない。
それでも、ざわざわと胸が騒ぐのを感じながら、彼はシルバーの乗用車へと歩いていき、その助手席の扉を開けて私を促した。
「すみません、失礼します―――……ぁ!!」
私が車の助手席に乗り込もうとしたのと同時、腹部に激しい衝撃を受ける。
目の前が曇り硝子のようにぼやけていく中、私は何が起きたのか全く解からないままに意識を手放した。
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