Scene.3-4




 
私は再び、夢の中に居た。

 心地よい陽だまりの下、昨日と同じ水色のワンピースを着ている私。

 その隣には、似た色のストライプのネクタイを締めた高遠先生。

 何処から用意したのか、古い映画に出てくるロマンチックな真っ白いベンチの前でどちらとも無く足を止め、腰掛けた。

 彼と私は、まるで恋人同士のように笑顔で寄り添う。

 言い表せない多幸感と充実が漂うのは、彼が傍に居てくれるから……。

 そんな温かい感情に浸っていると、突然、彼が切り出した。

「月島先生」

「はい?」

 改まった口調に疑問符を浮かべつつも、私は姿勢を正す。

「――――実は、僕」

 高遠先生の声がワントーン低くなるのと同時、胸騒ぎがした。

 心臓に黒い蟲が這うような、不快な感じ。

 知ってる。

 この後彼が紡ぐだろう言葉を、私はもう知っている。

「好きな人が、いるんですよね?」

 訊きたくないのに、誰かに操られているかのように訊ねてしまう。

 彼はゆっくりと、一度、頷いた。

 この反応は予想できていた筈なのに、いざ肯定されてしまうと、どうしようもなく辛くなる。

 でも。

「真琴ちゃんでしょう?」

 またもこの口は、勝手に、高遠先生を追及していた。

「…………」

 彼は私の問いかけに俯いている。

「真琴ちゃん……なんでしょう?」

 もう一度、今度は確認するようなニュアンスで返答を促す。

 私ったら、余計なことをしないで。訊きたくなんてない!

 彼を想い続ける気持ちを奪わないで。

 高遠先生との距離を、これ以上広げないで――!

「………はい」

 悲痛な内心での祈りとは裏腹に、小さいけれどはっきりした声で彼が認めた。

 その瞬間、周囲の全てが消えた。

 暖かい太陽の光も、白いベンチも、高遠先生も、全部が跡形も無く――

 私はその空間で一人ぼっちになり、色のない世界に取り残されてしまったのだ。

「ぁ、あ………」

 驚きに叫びだしそうになり、呼吸が出来ないことに気がつく。

「ぅ、あ、は―――」

 吸ったり、吐いたり……日常事も無く行っているそれの方法が解らなくなり、パニックに陥る。

 苦し紛れに喉元へと両手を持ってくるけれど、何が変わることもなく、気道が空気の侵入を拒んでいる。

 ……このままじゃ死んじゃう!!

 死の恐怖と隣り合わせでもがいていると、何も無かった筈の真っ暗い空間に、ぼんやりと女性のシルエットが浮かび上がる。

 影は白っぽく煙のように立ち上がり、次第に、私がよく見知った姿を形作っていく。

「――芽衣」

 女性が、慣れ親しんだ声音で私の名を呼ぶ。

 鎖骨に掛かるスパイラルパーマが印象的な、茶色い髪。

 凛とした眼差しに咲くのは、きちんと扇形にカールした長い睫。

 女性らしい曲線は保ちながらもすらりとした体形は、かっちりした黒いスーツに包まれていても、その魅力を色褪せない。

 人を惹きつける溌剌とした空気は何よりの武器だ。

 どんなに真似しようともできない、最も距離の近い憧れの女性であり、最も信頼できる友達でもある、彼女。

 ふっと、私の呼吸を遮っていた不思議な力が消えて、その彼女の名を紡いだ。

「ま――真琴ちゃ……」

「芽衣、残念ね」

 朝、出勤の挨拶をするのと何ら変わらない口調で真琴ちゃんが言った。

「高遠先生にふられちゃったんでしょ?」

「……っ」

 見間違いだと信じたい。薄く笑いすら浮かべながら、目の前の親友は小さく首を傾げる。

 私は、情けないけれど、何も返すことができずに言葉を詰まらせた。

「だって彼は私のことが好きなんだもの。仕方ないよね?」

「!!」

 『全部、事情は知ってる』とでも言いたげに、真琴ちゃんが勝気に目を光らせた。

 その視線を受け止めることが出来ず、逃がれるように目を逸らす。

 私の知ってる真琴ちゃんじゃない……。

 真琴ちゃんは、私にこんな意地悪な風に振舞わない。

「私もよ」

「え?」

「私も、高遠先生が好き」

「――――」

 その一言で、全てが終わってしまったと思った。

 高遠先生は真琴ちゃんが好き。

 真琴ちゃんも高遠先生が……好き。

 あぁ、何だ。

 これでもう、私の失恋は揺るぎ無い事実になってしまったんだ。

 高遠先生と私の距離も、離れたまま――――。

「悪く思わないでね? だって、彼には私が相応しいんだから」

 前に垂れていた髪を後ろへ、梳くように撫でながら彼女が言う。

「早いこと諦めたらいいのよ。想い続けたって、彼が芽衣に振り向くことはないでしょうね。絶対に」

 『絶対に』

「!!」

 最後の言葉が、心の奥深くを抉ったその瞬間、私はやっと目を覚ました。

 昨日、帰ってきてそのまま眠りに入ってしまったらしく、折角のワンピースが不快な汗でベタっと肌に貼りついている。

 ―――最悪、だ。

 夢の中での出来事とはいえあまりのショックで、朝一番から涙が出そうだった。

 
『……気になる女性が、居るんです』

 高遠先生の台詞がリフレインする。

 それが真琴ちゃんだっていうのはもう知っている。

 じゃあ、真琴ちゃんは……?

 『私も高遠先生が好き』

 一字一句違わず、真琴ちゃんの涼やかな声音が、耳元で重なって響く。

 やっぱり、そうなの?

 真琴ちゃんも、高遠先生が好きなの?

 私があの日、椎名君のマンションで見た彼女の姿は、やっぱり……そういう意味なの?

 シーツに包まったまま、強く両肩を抱く。

 ……無理やり信じようとしてた。

 真琴ちゃんが高遠先生と親しく見えるのは、二人が同じ授業を持ってるからで。

 高遠先生が好きだという私との仲を、彼女が取り持とうとしてくれているんだって――。

 でも、違うんだね?

 高遠先生と結ばれるのは私じゃなくて、真琴ちゃん。

 
『悪く思わないでね?だって、彼には私が相応しいんだから』

 『早いこと諦めたらいいのよ。想い続けたって、彼が芽衣に振り向くことはないでしょうね。絶対に』


 夢の中ですら、何も言い返せなかった。

 その通りなんだもの……。

 私にとって真琴ちゃんはいつだって眩しくて、理想で、憧れだった。

 その真琴ちゃんに敵う筈がないじゃない。

 重い重い溜息を一つ吐いて、私はゆっくりと身体を起こし、ベッドを下りた。


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 その日はいつもより早く家を出た。

 家に居ると、結論の出ないことをいつまでもくよくよ考えてしまいそうだったから。

 ……とは言っても、何処に居たってまたあの二人のことを考えてしまうのだから、意味がないんだろうけれど。

 五月の風は優しく頬を撫で付けるのに、こんな朝はそれさえ染みるような痛みを伴う。

 両目を細めて堪えながら、成陵に続く歩道を進んでいく。

 悲しみとか辛さを通り越して、ただひたすらに怖かった。

 好きだった高遠先生と、親友の真琴ちゃんが―――なんて。

 『可能性』が『現実』に変わる瞬間は大きいよ。

 考えることすら拒みたくなる。

 重苦しい空気を纏ったまま、職員室の扉を潜ると、見覚えのある青いストライプのネクタイと鉢合わせた。

 大好きだけど、今一番会いたくない人の一人―――高遠先生だ。

「お早う御座います、月島先生」

「お、お早う御座います……」

 いつもと変わらない、温かみのある微笑みを浮かべる彼。

「昨日はお付き合い頂いて有難う御座います」

「わ、私の方こそですっ……あの、本当に嬉しかったです」

 ぺこりと一度頭を下げると、彼はいえ、と首を振りながら、

「喜んでいただけたのなら、僕も嬉しいですよ。……すみませんが、実験の準備があるので失礼します」

「はい。じゃあ、また」

 彼は腕時計を気にしながら、すまなそうに頭を下げた。1時間目は実験みたい。

 私の横を擦り抜けていく後姿を一瞥して、自分のデスクへと向かった。

 荷物を下ろしながら、彼の様子はやっぱり普通だったな、とたった今の出来事を振り返ってみる。

 ――予想はしてたけど、寂しい。

 改めて、彼の中では、私の存在なんてちっぽけなものであると確認できてしまい、余計に胸が苦しくなる。

「お早う御座います」

 ジャストタイミングというか、追い討ちをかけるように、もう一人の『今一番会いたくない人』が出勤してきた。

 すれ違う先生方と挨拶を交わしながら、少し乱暴な所作で荷物を下ろす彼女。

 その表情は一日の始まりだというのに既に疲れている。どうしたんだろう?

 純粋に心配する気持ちも存在するものの、それよりも気まずさや猜疑心の方が先立ってしまう。

 そんな気持ちを振り払うように、私は敢えて自分から話し掛けることにした。

「お早う、真琴ちゃん」

 意識的に笑顔を作ったのは、本心を悟られないため。

「おはよ……芽衣」

 真琴ちゃんの方はというと、ただでさえ覇気が無かった表情が、更に曇っていく。

「どうしたの? なんだか、元気ないみたいだけど」

「……う、ううん、ちょっとね。寝不足で」

「そっか」

 こんな真琴ちゃんは初めてだった。

 学生時代のテスト期間中だって、これだけ冴えない顔は見せなかったのに。

 ……何があったのかな。

 聞いてはいけない気がして、わざと話題をそらしてみる。

「そうだ。あのね……有難うね、真琴ちゃん。昨日は凄く楽しかった」

「そ、そう。それはよかった。折角の誕生日だもんね。芽衣が満足できたみたいで、私も嬉しい」

 『私も嬉しい』? ―――本当に?

 高遠先生と私が、誕生日っていう記念日を一緒に過ごしたって言うのに。

 真琴ちゃんは全く気にならないって言うの?

 ……解ってる。夢の中に出てきた親友は、彼女自身じゃない。

 解ってはいるんだけど――……。

「真琴ちゃんには、本当に感謝してるの……高遠先生と、色んなこと話せたし……それに……私のこと」

 心の奥底から湧き上がる、反発心にも似た厭らしい感情に支配されて、私はとんでもないことを口走っていた。

 私ったら、何を言ってるの?

「え?」

 真琴ちゃんが不思議がるのと同じくらい、私も自分自身が分からなかった。

「私のこと、好きだって言ってくれたの」

 勿論、それは私の理想だけど、事実ではない。

 思わず嘘を吐いたのは、真琴ちゃんを試したかったんだろうか。

 自身の行動に疑問符を浮かべながら、それと平行して、真琴ちゃんの反応をくまなく覗っていた。

「………………」

 暫く、真琴ちゃんは物を言えないで居た。話すという機能を失った人のように――瞬く瞳の動きで思考を追っているように見えた。

 それはきっと、動揺。

「真琴ちゃん?」

「あ……」

 呼びかけに漸く反応して、私の顔を見た。

「どうかした?」

「……ううん、なんでもない」

 『なんでもない』なんて声音じゃないのは、誰が聞いても明らかだ。

「好きって……そ、そうなの!? 凄いじゃないの……それじゃあ、芽衣は高遠――先生と付き合うの?」

 今まで生じてしまった空白を埋めるかのように、矢継ぎ早にまくしたてるのが、逆に不信感を募らせる。

 昔から、嘘が下手だよね? 真琴ちゃん――正直だもんね。

「そ、それは……解らないんだけど」

「解らないってことはないでしょ。互いに好きならあとは付き合うしかないじゃない」

 あからさまな反応に面を食らったのと、嘘を吐いているという罪悪感から、思わず床を見つめてしまう私へ、

 真琴ちゃんが押しの一言とばかりに語気を強める。

「で、でも……」

「でもも何もないじゃない。其処まで話が進んでて大人しく居る必要が無いでしょ? 付き合ってって言っちゃえばいいのよ」

 『本当に、それでいいの?』

 言葉の赴くままに訊ねようとしたのを、予鈴に遮られた。それを合図にして、真琴ちゃんが慌てて授業の準備を始める。

「ごめん、私授業があるから。その話はまたゆっくり聞かせてもらうね」

 頷きを返したけれどもう遅く、真琴ちゃんはさっさと授業に向かってしまった。

 私も、音楽室を開けなきゃいけない。デスクの抽斗を開けて、鍵に手を伸ばした。

 自分でも、試すような、卑怯なことをしてるって解ってる。

 けど、包み隠さず訊くのは怖いの。

 高遠先生も、真琴ちゃんも、私から離れていってしまうような気がして――。

 取り出した鍵を胸元で強く握り締めると、早足で職員室を後にした。


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 ローテンションな時ほど、気持ちを構えて接しなければいけない人と会う機会が多い気がする。

 高遠先生、真琴ちゃんの次は椎名君。

 恒例の個人授業が待っている。

 音楽室の鍵を開け、少しひんやりと冷たい空間へと入り込む。

 蛍光灯の明かりは点ける気にならず、真っ直ぐとピアノへ向かった。

「私、バカみたい……」

 ぽつりと呟く自虐の言葉は、誰の耳にも入ることなく、防音仕様の壁が全部飲み込んでくれる。

 真琴ちゃんにあんな嘘をついて、何をしてるんだろう。

 時間が経てば経つほど、自分の行動が情けなくなってきた。

 ―――気持ちがざわつく時はピアノを弾くに限る。

 まるで黒い殻を破るように、白い鍵盤を露にして、その上に10本の指を揃えた。

 一呼吸置いて紡ぐのは、寂しくもまた慰められるようでもあるショパンの名曲。

 今の私の心境にピッタリ過ぎて、妙に感情移入してしまう。

 このタイトルの意味をこんなに意識して弾くのは、きっと初めて。

 反面、どこか空虚な気持ちで指を動かしていると、間もなく、扉が開く音と緩慢な足音が重なって聞こえてきた。

「今日は『別れの曲』か」
 
 椎名君が何気なく曲名を落とすと、それを合図に私は手を止める。

 何気なく浮かべていただろう彼の薄笑みは、私の様子を見やると止んだ。

 先日もそうだったように、彼は意外にクラシックのタイトルを知っている。

 有名な曲だからかもしれないのだけど、普段古典音楽に興味ないようなこと言ってたから、ほんの少し驚いてしまう。

 ……不思議。

「何、浮かないカオして」

「……少しだけ、ね」

 隠そうとは思わなかった。

 他の生徒だったら、もっと取り繕ったかもしれない。

 でも彼に嘘をついても、見破られてしまう気がして。それに、椎名君になら、ほんの少し弱音を吐いても、許される気がした。

 ……教師としては失格かもしれない、けど。

「ふうン」

 何気なく頷いて、彼はそれ以上何も訊いてこなかった。

 あれ?

 てっきり、しつこく訊かれるのかと思ったら。

「今日は、訊かないのね」

「どうせ怜のことなンだろ」

 背中がヒヤリとした。

「高遠先生に訊いたの?」

「いや、聞いてない」

 椎名君はゆっくりと首を横に振る。

「――怜の話なら、いい話でも悪い話でもきっとムカつくから」

 吐き捨てるように言ったけれど、直ぐに、でも、と言い淀んだ。

「気にならないって言ったらウソになるけど」

 ゆったりとした歩調で、直ぐ傍まで近づいてきた彼は、私とピアノとの間に割り込むような形で、覗き込んでくる。

 じっ、と、貫くような彼の真摯な眼差しを浴びると―――必然的に、ドキドキしてしまう。

「――言ったよね?オレ、センセが好きだって」

 
『アレはアレなりに、貴女を慕っているんですよ』

 
高遠先生の言葉が、耳元で重なって再生される。

 椎名君は普段、冗談めかしたところがあるから、彼が紡ぐ愛の言葉はジョークなんだろうって思えるのだけど。

 高遠先生に裏づけされてしまうと―――本気に、しちゃうじゃない。こんな魅力のない私を好きだという、椎名君の言葉を。

「……なんで、そんな悲しそーなカオすンの?」

 彼に指摘されてハッとする。

「え?」

オレはそんなカオして欲しくて、こーゆーコト言ってンじゃない」

「………」

 今、自分が一体どんな表情をしているのか、全然意識してなかった。

「センセ、オレのコト好きになりなよ」

「や―――」

 言葉と同時に、顎の先へと伸びる指先。

 高校生の男の子の物にしては、しなやかで綺麗なそれを振り払うように、私は手を伸ばした。

 けれど、逆にその手をしっかりと掴まれてしまう。

「は、はなしてっ」

「怜なんて諦めな。どうせ真琴センセのモノなんだからさ」

 !!

 視界に移りこむ彼の指や眼差しがブレる。

「な、にゆって……」

「芽衣センセだって分かってるクセに」

「………」

 そう、分かってる。

 だって私は、昨日それを高遠先生本人の口から聞いたんだから。

 不意に昨晩の高遠先生の様子が頭に過ぎって、心が重たくなる。

 と、椎名君が思いついたようにニヤリと笑み、掴んでいた私の手をぱっと離す。

「第一、オレ見ちゃったんだよね」

「……?」

「前にさ、芽衣センセから進路指導室に呼び出されたコトがあったじゃン?」

 疲れる姿勢だったのか、屈み気味だった体勢を起こし、伸びをしている椎名君。

 ……進路指導室――あぁ。

 『さっきまでココで高遠と2人、何かコソコソしてたけど』

 
『なんかアヤシイ感じだった。恋人ってフンイキ?』

「うん……覚えてるけど……」

 私が来る前に、高遠先生と真琴ちゃんが居たっていう、あの朝のこと。

 嬉しそうに話す椎名君の顔を見ると、何だか不安が増してくる。


「あの時の真琴センセ、スッゲ慌てててさ。しかも……」

 その時の光景を思い出しているのか、クッ、と声を立て笑う。

「ブラウス、裏返しで着てたんだぜ。もうおかしくってさ」

「ブラウス?」

 椎名君が何を面白がってるのか、すぐには飲み込めなかった。

 意味を把握できていない私に、椎名君が呆れたように繰り返す。

「……だからさ。慌ててブラウスを裏返しで着てたってことは、どーゆーコトか、わからない?」

 正直、よくわからない。

 私の顔にもそう書いてあったんだろう。椎名君がさらにヒントをくれる。

「家を出るとき、わざわざ裏っ返しに着てきたりしないだろ。フツー。

慌てた様子を見る限りは、たぶんその部屋で急いで着たから裏返しになってしまったってのが自然な解釈」

 違う?と視線で問う。

「―――それって……つまり……」

 みるみる頬が紅潮していくのが分かる。

 それは――あの部屋で……高遠先生の前で、真琴ちゃんがブラウスを脱いでいたということを意味する。

 それって……それって……!!

「もーカナリ深いトコロまで行っちゃってるンじゃね? 真琴センセ、ウチに泊まってたってのも検証済みだし」

 ――――――。

 憶測は、紛れもない事実になった。

 ううん、違う。きっと、私が気づいていなかっただけ。

 私だけが何も知らなかった。私だけ。私だけが、何も。

 目の前で椎名君が、高遠先生と真琴ちゃんの関係についていくつか証拠みたいなものを並べ立てている。

 でも、私の思考は違うことで一杯だった。

 真琴ちゃんは、私に隠れて高遠先生と――

 そして高遠先生は、真琴ちゃんと関係がありながらも、彼女の頼みだから私と誕生日を―――

 ……私だけが何も知らなかった。私だけ。私だけが、何も!

「――だからさ、裏切られてたのかもよ?芽衣センセ」

「!!」

 BGMのように右から左へと流れていく椎名君の言葉の中に、ドキリとする言葉があった。

 私自身、絶対に認めたくなかった言葉。

「うらぎ、られた……」

「そうそう、案外最初から真琴センセ、怜のコト横取りする気マンマンだったのかもな、なんて

―――芽衣センセ?」

 最初は楽しげに笑っていた椎名君だけれど、私からのレスポンスが無くなると、その笑みが表情から消える。

 何処かで覚悟してた。いつか、真琴ちゃんに見限られるんじゃないかって。

 綺麗で頼りがいがあって、優しくて明るい真琴ちゃん。

 大人しくて地味でパッとしない私より、真琴ちゃんの方がずっとずっと魅力的。

 よく考えればわかるじゃない。こうなるのはとても自然なことなんだって。

 真琴ちゃんだって、こんな私なんかより、尊敬できる高遠先生を取るに決まってる。

 ――私は高遠先生の一番にはなれない。

 ……真琴ちゃんの一番にも。

「芽衣センセ?」

「―――もう、いい加減に授業に入りましょう」

 聞きたくない。

 真琴ちゃんの話も、高遠先生の話も。

「今日はオペラでも聴いてもらおうと思って。DVDを用意しているの」

 話を切るつもりで椅子から立ち上がると、私の意志を悟ったのか、椎名君は何も言わず近くの席についた。

 ……真琴ちゃんは、満足?

 私を裏切って、高遠先生と結ばれて、それで満足なの?

 言葉とは裏腹に、頭の中は二人のことで満たされていた。